2024/06/12

島根県、隠岐島島前アイランドホッピング

6月12日。
いつも、ネパールでお世話になっているネパール人のM氏、ここ十数年来、ネパールのオフシーズンに、島根県の隠岐島のホテルで働いている。コロナで中断していたが、今年は仕事再開で、来日するので、関西空港でピックアップして、送りがてらに、隠岐島に行ってきました。
山陰のお寿司 ヒトトセ 境港駅前店
フェリーで隠岐に渡るときの定番は隠岐汽船のターミナルにある「山陰のお寿司 ヒトトセ 境港駅前店」。ネタが新鮮で、大きく、安い。今回も行き帰りに立ち寄った。
フェリーしらしま
M氏とは西ノ島の別府港で別れる。私達はレンタカーで移動。
私達は今回は、島後(隠岐島町)は割愛し、島前(西ノ島町、海士町、知夫里村)の観光のみに絞る。
島前の島々は焼火(たくひ)山を中央火口丘として、それを取り囲む山々と知夫里島、中ノ島を外輪山とするひとつの大きなカルデラ火山と考えられており、島前火山と呼ばれています。ただし、島前火山が活動したのは約630~530万年前で、現在ではその大部分は海面下にあります。 
今回は、浦郷の島宿優心に2泊の予定。
島前、島後
海鮮がいっぱい。島宿優心の夕食(一部)
6/13。
5時に宿を出て、5時15分には摩天崖の駐車場へ。
そこから、国賀海岸「通天橋」までの距離2.8㎞、高低差235m下り、所要時間約70分トレッキング。
日の出に間に合った
朝日に輝く国賀海岸
カルデラをバックに草を喰む馬の親子
国賀海岸
その後、赤尾展望所や鬼舞展望所を巡る。
赤尾展望所からカルデラを望む
摩天崖、通天橋を望む
浦郷に戻り、舟引運河の上を通って、別府へ。
外海と内海(カルデラ)を結ぶ舟引運河
別府港8:40発内航船フェリー「どうぜん」に車ごと乗船。
12分で菱浦港(中ノ島)着。
比須賀のカルデラ展望所
木路ヶ崎灯台(地面に描かれた方位盤)
隠岐神社
明屋海岸
船渡来流亭のさざえカレー。味わう時間がなかった。
昼食はフェリー乗り場2階のレストラン 船渡来流亭 (せんとらるてい)。洒落たレストランで、QRコード読み込みメニューの最新(?)システムだが、スタッフの手際の悪さは酷かった。
 スマホでQRコードのメニューを読み込み、オーダーを送信。料理ができあがると、テーブルのブザーが鳴り、カウンターまで取りに行くセルフサービス形式。西ノ島に戻るためのフェリーの時間に余裕を持って入店。2組目だった。そのあと、徐々にお客さんが増えほぼ満席に。最後に、入店した高齢の二人組は注文方法の記載に気が付かないのか、やり方がわからないのか、店員を呼び、店員は伝票で注文を受ける。
 私達は、会話に夢中になっていたが、一番最初に呼び出しブザーが鳴ったのは、最後に入店した高齢の二人組のテーブル。別の一人の男性客が、しびれを切らし、自分の料理はまだか?と聞きに行く。「もうすぐです」というが、男性は自分の注文をキャンセル。フェリーの窓口が開き、チケットが発売される時間が、迫ってきているのだ。私達も次のフェリーを逃すと、午後の予定が狂ってしまう。
 私達の次に、入店した二人組のブザーが鳴る。私達のオーダーは届いているのか?聞きに行くと、届いている。もうすぐですとのこと。フェリーチケットの窓口はすでに開いている時間だ。とにかく、チケットをキープするため窓口に行く。西ノ島と中ノ島を結ぶ小さなフェリーなので、果たして、チケットをゲットできるか?ハラハラしたが車両積込8番目の乗船券をゲットできた(実際、乗船したときには、大型のトラックが先に乗船していたため、ギリギリの乗船だった)。
レストランに戻っても、まだ料理はできていない。ブザーが鳴ったのは車両積込開始時間間際。オーダーしてから30分は経過していた。急いで、料理をかっこみ、支払いに行くと、カード端末が不具合。ここでもタイムロス。現金で支払って、なんとかフェリーに間に合った。
 西ノ島に戻り、国賀めぐり定期観光船に乗船。早朝、トレッキングした国賀海岸を今度は海から眺めるのです。
国賀めぐり定期観光船
国賀海岸
 内海の浦賀港から、舟引運河を通り、外海に出て、国賀海岸を巡る。今
日は外海が穏やかだったので、イタリアの「青の洞窟」のような、船幅ギリギリの洞窟に進入、通り抜け、神操船を見せてくれた。
 約1時間30分の観光船のあとは、焼火(たくひ)山トレッキング。
 焼火山は島前の最高峰。山の中腹には国の重要文化財に指定されている焼火神社(焼火権現)があり、平安時代から海上安全の神として知られている。神社を中心とする約4ha の山林は「焼火神社神域植物群」として 1970 年に県の天然記念物に指定され、隠岐の固有種であるタクヒデンダ、トウテイランや、ヤブツバキ、ハリギリ、ウリハダカエデ、シイ・カシ類、イヌビワ、タブノキ、クロモジ、ヤブニッケイなど希少な植物が数多く生育している。また、昆虫や野鳥も多く、カラスバトの繁殖地となっている。
浦郷からの焼火山
巨大な杉は長い歴史を感じさせる
焼火神社は深山の趣
展望所からカルデラを望む
昨日の「しらしま」がまもなく別府港に入港します。
焼火神社の本来の参道があった大山(おおやま)方面に下山。レンタカーを返却し、路線バスで、浦郷の宿に戻った。
 この日は、オーナーが本土の病院へ行くので、夕食は宿の近くの居酒屋「みやこ」でいただく。
女将さんと消防士の息子さんが接客と厨房を受け持っている。新鮮な海鮮のほか、通常の居酒屋メニューもあり、おいしい料理が趣味の良い食器で提供され、居心地が良かった。

6月14日。
路線バスの始発で、別府港に行き、一番の内航船「いそかぜ」で知夫里島の来居港に渡る。
「いそかぜ」(乗客のみ)
港で待ち受けてもらっていたレンタカーで知夫里島の観光に出かける。
まず、ウグイガ崎。西ノ島と知夫里島の最狭部(小口)の岬。
中国電力が電線工事をしていた。隠岐の電力は島前、島後のそれぞれ2箇所の火力発電所と水力発電所、それに風力発電所で作った電力を、海底ケーブルで各島に送っているそうです。その一環の工事のようでした。
西の島を間近に望むウクイガ崎
それから、しばらく登ると赤ハゲ山の展望所。外海と内海が一望。
知夫里島のレンタカーはミニバン
このあたり一帯は、牛や馬の放牧地で、たくさんの牛や馬が草を喰んでいるし、道を塞いでいる。糞もたくさん落ちていいる。
赤壁
高さ50~200メートルの崖。この崖は約600万年前に噴火した火口が浸食されてできた断面です。赤い色は、噴火で飛び出した溶岩のしぶきの鉄成分が酸化して生じたもので、繰り返し噴き上がったしぶきによって縞模様ができました。
知夫里島の東端にある島津島。歩行者専用橋で渡る。
来居港に戻り、10:55発の隠岐汽船フェリー「しらしま」に乗船。
13:20境港港に到着。再び「ヒトトセ」でお寿司を頂いて帰阪した。





2024/06/09

大阪府、生駒山系(国見山、交野山、くろんど園地)

 雨の予報でしたが、たいして雨にも合わず涼しく歩けました。

国見岳への登り
国見岳頂上
ササユリがきれい
国見山頂上の観音岩









2024/05/29

富山県、砺波の散居村

5/29、 富山に用があったので、出かけてきた。
お天気が良かったので、往路は中央道、長野道、上越道、北陸道経由という大回りで富山にアプローチした。
中央道からの南アルプス、中央アルプスはよく見えたが、長野道、上越道、北陸道からの北アルプスや頸城山塊の山々は時間が遅いせいか、雲に覆われていた。
砺波に宿を取った。
ホテルは、エルキュールホテル(ダイワロイヤルホテルをリブランド)。最近増えてきているが、食事時やラウンジでの飲み物をフリー(無料)で提供するオールインクルーシブ。
宿泊客のほとんどが外国人のようだが、大浴場もラウンジも広々していて、静かでした。お風呂(越中となみの温泉)も広々として、露天風呂もあり快適でした

麦秋。医王山の山並みの向こう、加賀の日本海に陽が沈む。
エルキュールホテル砺波(ダイワロイヤルホテルがリブランド)
素晴らしい日の出
右から立山、剱岳、毛勝三山、白馬岳のシルエット

雪の残る立山と岩の殿堂、剱岳
石川と富山の県境にある医王山(二百名山)
砺波平野の散居村
水橋食堂 漁夫(富山市水橋)
テーブルに乗り切らないくらいの富山湾の幸
海鮮丼(これにアラ汁が付きます)







2024/05/25

京都府、宮津市街散策、橋立トレイル

 5月24日、宮津に勤務するDr.H氏の案内で宮津市街を散策。

国宝「雪舟筆 天橋立図」(京都国立博物館蔵)

獅子崎稲荷神社
天橋立雪舟観展望休憩所
国登録有形文化財「撥雲洞トンネル」
カトリック宮津教会 聖ヨハネ天主堂と細川ガラシャ像
宮津城西堀だった大手川と城壁を再現した白壁
大衆食堂「富田屋」
お料理がいっぱい出てくる
岩がきを追加注文














2024/05/06

大分県、九州の山旅④

 九州の山旅最終日。終日、雨予報なので、登山は止めにして、観光へ。

宇佐神社に行きました。





2024/05/05

九州の山旅③(久住山、中岳)

 5/5(日)。
明日5/6(月)も登山の予定だが、明日の天気は荒れ模様で、登山は絶望的。登れるのは今日一日だけ。目標は、祖母山と久住山の二山が残っているが、どちらかひとつにしなければならない。どちらも捨てがたいが、苦渋の選択で、久住山に行くことにした。
6時に登山口の牧ノ戸峠の駐車場に到着。ここは若干、まだ空きがあった。
歩き初めて2時間程、「久住わかれ避難小屋」の少し手前の所で、カランクルンのSさん、Nさん、Eさんの3人とバッタリ出くわした。
たくさんのコースがあり、たくさんの人が行き交う中で、なかなかの偶然だが、例のけたたましい声にすぐに気がついた。彼女たちは、昨日、法華院に宿泊し、今日は牧ノ戸峠から下山するようだ。
彼女たちと別れ、「久住わかれ避難小屋」前の広場で少し休憩後、まず、くじゅう連山の盟主、久住山(1786m)に登る。今日も風が強いが、展望は良い。久住高原の向こうに阿蘇と祖母山の山並みが見える。

久住山
久住山からの中岳(右)と天狗ケ城(左)
御池
次は御池(みいけ)の畔を通って、九州本土の最高峰、中岳(1791m)へ。眼下に坊ガツルの湿原。遠くに由布岳の双耳峰
しばし展望を楽しんで、ゆっくりと牧ノ戸峠に戻り、長者原の宿にチェックインして、温泉で疲れを癒やす。


2024/05/04

九州の山旅②/熊本県、阿蘇山(高岳、中岳)

昨日は、早朝から暗くなるまで行動、移動していたので、本日の目標を祖母山から阿蘇山に変更し、ゆっくり宿で朝食をいただいてから出発した。

朝食もシンプルで美味しかった
祖母山の神原(こうばら)登山口を偵察。やはり、狭い駐車場は満車。そのあと、全国的に有名な「音無井路十二号円形分水」を見学に行く。水争いが絶えなかったので、公平に水が分配されるよう12の窓を設けた分水施設。1934年(昭和9年)に竣工されたそうです。
音無井路十二号円形分水
その後、南阿蘇から火口駐車場を目指す。
4/26、GW直前に、噴火警戒レベルが2から1に引き下げられたので、火口近くまで行くことができ、中岳、高岳へのアプローチも短縮される。
南側からのアプローチで山上に上がると、北側からの車で渋滞。それでもしばらくして、駐車場に車を入れることができ、歩き始めた。
砂千里ガ浜
このあたりではまだ風も無く、暑かった
高岳。風が強く寒い
最初は暑くて、汗が吹き出したが、稜線に出ると霧がかかり、風が強く、寒かった。熱中症より低体温症が懸念された。
高岳、中岳の頂上も全く展望がなく、寒いので、早々に下山を開始し、車に戻った。
帰路は北面に下るパノラマラインを下る。
最初は順調だと思われたのだが、渋滞にはまり、ピクリとも動かない。そのうち、のろのろ動き出すが、停まっている時間のほうが長い。
業を煮やしたTさんが、徒歩で前方の偵察に行った。
その結果、草千里ヶ浜のパーキングが満車で、上下線ともそこに入ろうとする車が、車線を塞いでいて、直進車も通過できないのだと。
30
分程、渋滞に巻き込まれ、やっと通過でき、スイスイと行けるが、上り線は延々と渋滞の列。「今日中にパーキングに入れないだろうに
他人(ひと)の不幸を見て、自分たちの味わった苦行を軽減するかのように、ニンマリとする一行であった。
その後は順調に走り、竹田市街のホテルにチェクインイン。温泉に入って疲れを癒やした。

2024/05/03

九州の山旅①/大分県、由布岳(1583m)

 5/3GW後半、四連休の初日、始発で出発しましたが、どこもかしこも長蛇の列。

それでも、順調に無事に大分に到着。本日の目標は由布岳。
ナビに従って、順調に最寄りのICを出て登山口に向かったのですが、なんか以前と雰囲気が違う。再度、ICに戻り、出直そうとするが、間違って、高速に入ってしまい、1個手前のICまで逆戻り。地道で戻り、最寄りのICから再スタート。ナビに従って目的地に着くと、そこは正面登山口とは180度反対側の地点。また、引き返し、やっと正規の登山口に到着。満車だったが、既に下山してきた人もいて、すぐに駐車できた。
お昼を食べて、出発は12時になってしまった。計画より、1時間半の遅れ。

樹林帯を抜け、展望の良いところに出る
由布院は水田が光っていました

マタエ(西峰と東峰の分岐)から東峰を望む
鎖場の多い西峰はガスの中
それでも順調に登り、頂上が15時前。駐車場が17時になってしまった。
もう、祖母山麓の民宿にチェクインしてる時間だが、今から出発しても、到着は19時頃になりそう。おそるおそる宿に電話すると、「ぜんぜん、大丈夫」と言ってくれた。到着してわかったのだが、若いオーナーが一人で切り盛りしているので、早くから来られても困るようだ。
オーナーは、フランスと由布院の旅館で修行をしたとのことで、お料理はフレンチと日本料理のフュージョンした、独創料理で、たいへん美味しかった。

右上は新鮮なお造り(黒いのは宿前の河原の石のアクセント)
ぶりのソテー
ナスのソテーにパルメザンチーズ
鴨のサフランソース添
地元作家作成の木製椀に八丁味噌の味噌汁
デザートはいちごのアイスクリーム
一品ずつ出てくるので、食事が終わったのが22時近くになった。
皆さん、今日は朝早くから行動していて、明日も、駐車場確保のため、早朝から行動しなければならないというのは辛いので、明日は祖母山の予定を変更して、行動時間の短い阿蘇山に行くことにした。