2008年厳冬期 利尻岳(1721m)登頂の記録

 

 

期間:2008131日~26

参加者:TH(CL)、NM(山の会カランクルン)



日本の最北端、北海道稚内の西方海上に二つの島がある。利尻島と礼文島だ。そのうち利尻島は、ほぼ円形の島で中央部に利尻岳がそびえ、その秀麗な姿は海上の富士山にたとえられる。
利尻地図
利尻岳の標高は1721m2000mに満たないが、ほぼ海抜0mから登り始めなければならないので、標高差は正味だ。百名山ブームで無積期は登山者が多いが、冬季は、北西季節風をまともに受け、気象条件が厳しく、登山をする人は少ない。私たちは昨年の厳冬期知床半島縦走に続いて、今季は利尻岳に登ってきた。ルートは(おし)(どまり)コース。メンバーは昨年と同様、NMとの2名。
131日 
関空から新千歳空港に飛び、JRで札幌に向かう。最近は、冬季でも新千歳空港から利尻空港に毎日、定期便があるそうだが、悪天候の多い冬季は欠航することが多いので、夜行バスで稚内に向かい、稚内からフェリーで利尻島に渡ることにした。学生時代に利尻島に渡った時のフェリーは今よりもずっと小さくて、地獄の苦しみを味わったものだが、最近は大型化され、少々の時化(しけ)でも欠航すること少なくなった
札幌では、夜行バスの出発時間まで、北の味覚を味わった。23時にバスが札幌を出発するとき、札幌は吹雪だった。
21日 
早朝、稚内に到着し、フェリーに乗り継ぐ。大きな揺れもなく、9時前に利尻島の鴛泊港に到着。天候はどんよりと曇った天候で、利尻岳は姿を見せない。ペンション群林風(グリーンウィンド)のご主人が迎えてくれる。この宿は、THが一昨年夏に利尻岳に登った時に利用したので、今回も登山後に泊めていただくことにした。冬季は営業されていないのだが、私たちのために特別に開けて下さったのだ。
ご主人の車で、宿に到着。宅配便で送っておいた荷物から装備を取り出し、準備にかかる。今回は昨年の縦走形式とは異なって、BCを設け、そこからキャンプを進めて、もしくは一挙に頂上を往復する予定なので、軽量化よりも快適性を追求した結果、荷物も多くなってしまった。
  フル装備に着替え、パッキングもできて、宿のご主人が、北麓野営場までスノーモービルで送ってくださる。大きなザックを担ぎ、振り落とされないようご主人にしがみついて15分ほどで到着。運転者の他に、もう一人しか乗れないので、往復してもらい、二人が揃ったところで記念写真を撮って、ご主人のエールを受けていざ出発(記念写真はペンション群林風のご主人のブログをご覧ください。)。
 スノーシューをつけて山麓の緩い樹林帯を進む。「甘露泉」まではバックカントリースキーのトレースがあり、そのトレースはポン山方面に向かっていた。
 甘露泉からはしばらくは登山道もわかったが、それもわからなくなり、地図を取り出して、ほぼ現在地と思われる地点から、頂上に磁針を合わせ進む。そのうちテープを見つけ、それを追ってゆく。濃厚な樹林の中は風も無く、暑いくらい。最後にテープを見てから、だいぶ登ったが次のテープは見当たらない。その時、雲の切れ間から長官山(昭和初期に北海道庁長官が登ったのでこの名がある)らしき山容が見えたので、その方向に進む。しばらくすると、樹林帯が切れ、疎林となった。風が通り抜けるので、樹林帯に少し戻り、テントを設営。標高は500mくらい。
22 
札幌に吹雪をもたらせた低気圧はオホーツク海に去り、移動性高気圧が張り出してきて、今日明日の晴天が予想される。上部に前進キャンプを設けるために荷上げをして時間をかけるよりも、ビバーク装備だけの軽量で、スピーディーにここから一挙にアタックするほうが登頂の確率が高いと判断して、明るくなった630分に出発。
昨日の到達点まで進む。昨日より視界があるが、山頂は見えない。ルートを眼で追うが、急傾斜でどうも夏と様子が違う。昨日、長官山と思ったピークは、長官山の西にある818mピークのようだ。このまま進むと夏道よりも一本西側の尾根に向かってしまう。すぐに、軌道修正して引き返し、テントの前を下って、沢を横断できるところを探す。しばらくして、斜面の緩い、高低が浅いところで沢を横断して、向かい側の尾根に取り付き、ジグザグに登って尾根の上に這い上がった。ここで、テープを見つけた。この尾根が正解のようだ。
  尾根上はトウヒの低木に覆われていて、そこに雪が積もって歩きづらいので、尾根の東斜面を斜上した。5合目あたりで尾根上に復帰するが風も強くなり、寒くなる。ハイ松が出てきて、時折、踏み抜いて、知床のハイ松地雷原を彷彿とさせる。6合目のトイレはブルーシートで覆われ、その陰で一息ついて、さらに上を目指す。しばらくすると北東方向から尾根が合する。下山時にはよほど注意しないとそちらに入り込んでしまいそうなので、ワンズ(標識竹)を丹念に打つ。このあたりからは、風はさらに強まり、時折、バランスを崩されるほど。視界も50mくらい。
傾斜も強まってきたのでアイゼンに履き替える。さらにしばらく登るが、ホワイトアウトになり、雪面と空間の境がわからなくなってきた。しかも、左側は雪庇ができているようだが、判然としない。現在地点はおそらく、7合目を少し越えたあたりで、もうひと頑張りで8合目の長官山に達し、そこからすぐの所にある避難小屋に入って、今日はビバーク。明日、そこからアタックするということも、一瞬頭をかすめるが、ビバーク後のアタックは厳しいし、そもそも、これ以上登るのは危険だ。下山を決断する。時間は13時。予想以上に時間がかかった。
  6合目より下に降りると、先ほどの風は嘘のように穏やかになる。雪に覆われた礼文島を眺めながら、今日、初めてゆっくり休む。NMが「私の利尻岳登山は終わった」と珍しく弱音を吐く。先ほどの強風と寒冷がよほど堪えたのだろう。一度や二度、跳ね返されるのは織り込み済みだ。もちろん、私はこの程度で、登頂を諦める気はない。明日の行動はテントに戻ってから考えることにしよう。
23 
昨夜、頑固なNMを説得して、NMも再アタックすることになった。昨日のトレースが残っているだろうから、アイゼンでスタート。天気は晴天だが、長官山の下あたりからは雲に覆われ頂上は姿を見せない。利尻島に来てからまだ、頂上を拝んでいない。
昨日は引き返し地点まで5時間ほどかかったが、今日は2時間ほどで達した。風は強いが、昨日ほどではないし、視界もある。尾根は痩せてきて急になり、長官山らしいピークが見え、そこまで登るとさらにピークがあり、そのような登りを2~3回繰り返して、平坦な長官山の上に出た。雪庇の切れ目に風の当たらない場所を見つけ休憩。いつでもロープを付けられるようハーネスをつける。その間に頂上付近を覆っていた雲は去り、利尻岳は全貌を現した。
長官山からはいったん下って、しばらくは平坦な地形で、このあたりに避難小屋があるはずで、見通しもよいのだが、避難小屋は見えない。記憶を呼び起こしながら避難小屋を探しながら歩いていると、ひょっこり、足元に避難小屋があった。東側半分は完全に雪に埋まり、西側や入口のある北側もエビのシッポがびっしりとくっついて、モノトーンの世界に溶け込んでしまっていたのだ。
緩い登りで9合目まで来ると見覚えのある資材をくるんだブルーシートがあり、この辺りから西側の沓形(くつかた)方面の展望が開けてくる。天候は快晴無風となった。ルートは急になり、尾根も痩せてきたので、ストックをピッケルに持ちかえ、ロープを結んで、ローソク岩を横目に見て、小ピークをいくつか越えて、頂上に立ったのは15時だった。
再度のアタック。頂上付近は晴天となりラッキー。
明るいうちに安全地帯まで降りるため、写真を撮って、すぐに下山にかかる。日没は17時頃。天候もだんだん良くなっていくようなので、日没までに長官山を通過して少し下れば、あとは今日も昨日も登っているところだし、ワンズもあるので、ヘッドランプを点けて夜を徹してでもテントに戻ることができるだろ。日没との競争になる。
9合目まで展望を楽しみながら降りるが、やがてガスがかかってきて、視界が利かなくなってきた。それでも、トレースを追って下る。そのうち、風も出てきた。西側にはガスを通して太陽が透けて見えるので、天候が悪化したというわけではないようだ。9合目と8合目の間は風の強い、ガスの溜まりやすい地形なのだろう。トレースを追っていても、トレースは風にかき消され、しばしトレースを失う。左手の西側はすっぱり切れているので、その縁をたどれば、避難小屋に達することは分かっているのだが、緩い所から西側に降りてしまうおそれがあって下手に動けない。トレースらしきものを見つけ、それを辿って避難小屋に達した。
日没が迫り、視界も無くなってきた
時間は1645分、辺りは薄暗くなってきた。避難小屋でビバークということも考えたが、山小屋に入り込むには、入口を掘り出さねばならない。宿のご主人との会話で、2階の窓から入れると聞いていたが、どちら側の窓かを聞くのを忘れた。それを探し出して、入り込むには1時間はかかるだろう。まだ、明るみが残るうちに長官山を通過しよう。視界は無いが、長官山までは登りなので、上へ上へ登れば、長官山に達し、そこからは尾根が細くなるので、尾根を忠実に辿って下れば、昨日の到達点だ。
風はますます強くなったが10分ほどで、長官山の頂上に達した。陽は完全に沈み、ヘッドランプを点ける。頂上からは、下りに入るのだが、下降点がわからない。それらしいところを降りてみるが、ヘッドランプの光はガスに拡散され、一歩先が雪面なのか空間なの判然としない。仕方がない、避難小屋に戻って、入口を掘り出そう。風が強いが、まだトレースが残っているので避難小屋に戻れるだろう。トレースを辿って避難小屋に向かう。しばらくはトレースがあったが、今度はトレースなのか、風紋なのか判然としなくなった。それでもトレースらしいところを探して、歩いているうち、急に体が空中に投げ出された。雪面と思ったところが空間だったのだ。一瞬、何が起こったのかがわからなかったが、滑落していることに気が付き、ピッケルで制動をかけようとした瞬間、ロープで停止した。NMが停めてくれたのだ。ほんの1~2秒の出来事だった。
停止した場所の下は急斜面が続いているようだが、ここは風が無いので、ここに雪洞を掘ることにしてNMに降りてきてもらう。
NMが降りてきて、ロープをスノーバーとピッケルで固定して、雪洞掘りにとりかかる。すぐにブッシュが出てきて、雪洞を掘るには雪が少なすぎることに気が付く。適所を求めて歩き回るのは危険なので、ツェルトビバークに方針変更。斜面を削ってビバークサイトを足を伸ばせる広さまで広げ、ツェルトを固定してそれに潜り込む。薄っぺらいたった一枚の布切れが、外部と隔てた落ち着いた空間を生み出した。
時間はまだ、19時前。翌朝は、明るくなる7時前までは動けないだろうから12時間ほどの寒い、辛いビバークになるだろう。でも、明日も天気は良さそうで、何日もここに張り付けられることはないだろうし、二人とも高所用の2重靴を履いているので、凍傷のおそれは少ないし、シュラフカバーやガソリンも1リットル持ってきているので、私には全く悲壮感はない。しかし、NMは、初めてのビバークに緊張しているのか、それとも昨日、止めると言ったのに来てしまったことを後悔しているのか、押し黙ったまま、寒さに耐えている。
 ガソリンストーブに点火し、雪を溶かしてお茶を作り、それを飲んで体が温まってくると、ガソリン節約のため火を消す。すぐに寒さが戻ってくるが、しばらく我慢して、耐えられなくなってくると再びストーブに点火。これを繰り返して時間がたつのを待つ。
斜面と背中との間には斜面を滑り落ちてきた雪が溜まり、体が前に押し出されてくる。思い切ってツェルトの外に出て、雪を取り除く。ツェルトの外に出ると沓形だろうか、町の明かりが暖かそうに瞬いていた。ツェルトの外での作業は、すぐに体がガタガタと震えだすほどの寒さで、おそらくマイナス20度にはなっていたであろう。
24
 長い夜だった。明るくなってきたので行動を開始する。外へ出てみるとやはり、足元は50度位の急斜面だった。20mほど登り返し、稜線に復帰すると、避難小屋は50mほど先にあった。長官山まで登り返し下降地点も容易く見つかり、昨夜の右往左往は嘘のようだ。小ピークを2つほど過ぎたあたりで、時間は7時となった。もうペンションのご主人も起きているだろうから、携帯電話を取り出して、昨日登頂し、昨晩はビバークして、今日下山するので、泊めてほしい旨を伝える。天候や状況によっては、最終下山日まで粘る予定だったので、正確な宿泊日を決めておけなかったのだ。 ご主人は、昨日は一日、双眼鏡で見ていたが、われわれの姿を見ることはできなかったそうだ。これで、今晩は温かい布団の中で寝られそうだ。
今日は、風も穏やかで、ゆっくりと景色を楽しみながらテントに戻り、私たちの厳冬期の利尻岳登山は終わった。

0 件のコメント:

コメントを投稿