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2025/07/06

南米の旅(ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル)

カランクルンの皆さんと南米に来ています。
5月19日に大阪を出て、羽田→トロント(カナダ)→サンパウロ(ブラジル)→5月20日深夜、リマ(ペルー)に到着しました。遠かった。
南米は久しぶり、7年ぶりです。リマの入国審査審査は長蛇の列で、迎えに来てくれたなじみのアルフォンソに、ツーリストはコロナ前に戻ったか?と聞くと、まだ45%程度とのこと…。まだまだ、これからですね。
5月21日は、7時に、ホテルを出発して、ナスカの地上絵に行きました。
ナスカの地上絵は、今まで3回行きましたが、リマから1泊2日の行程で、遠い割に、30分程度のフライトで上空からしか見られない。コスパ、タイパがよくないので、敬遠していたのですが、イカという所からも、フライトがあるとのことで、今回はそれを利用して、日帰り行ってきました。
リマからイカ空港まで車で4時間かかりました。イカ空港、新しく、大きくなりましたが、まだナスカ遊覧飛行でしか運用されていないようで、ガランとしていました。リマから定期便が飛ぶようになると、観光客が増えることでしょう。
12人乗り
お一人はグロッキー
機材は12人乗りで、ナスカ上空まで30分ほど。地上絵の上空までくると、片側の乗客が見やすいように、機体を大きく傾かせ、地上絵を通過すると、すぐに旋回して、反対側の乗客か見やすいように機体を傾けてくれる。以前、ナスカ空港から搭乗したフライトは、4〜5人程度の小さな機材だったので、この様な急旋回や大きな傾きはしなかったと思う。おかげで、よく、地上絵が見えたが、私たちのグループの2人が酔って、昼食の海鮮をパスした。
副操縦士?の若い女性は地上絵の解説をしてくれた。最初はスペイン語だと思っていたら、「鼻の下、鼻の下」と日本語のようだ。おやじたちに、鼻の下を伸ばしてないで地上絵を見ろよって言っているのかと思ったら、「猿、羽根の下、羽根の下」、「ハチドリ、羽根の下、羽根の下」と日本語で案内してくれていたのだ。
ハチドリ
猿(の尻尾)
90分のフライトの後、近くのパラカス港で昼食。
ここはペルーのガラパゴスと呼ばれる、バジェスタス島観光の拠点。海獣や海鳥の宝庫で、大変面白かったが、今回は割愛。
港に軒を連ねるレストランの一軒に入り、海鮮を堪能して、リマのホテルに戻ったのは20時を回っていた。
セビーチェなど海鮮を堪能
5月22日
インカの都であったクスコ(世界遺産)
マチュピチュへのゲートウェイのクスコに移動。
クスコは標高3399mもあるので、昨日の飛行機酔と相まって、気分がすぐれない。
インカトレイルやマチュピチュ観光でお世話になるガイドさんの会社でオリエンテーション、そして昼食後、クスコのメインスクエアのアルマス広場へ。
大聖堂に入場する。信仰の場なので、以前は無料だったのだが、一人40ソル(1600円)の入場料が必要になっていた。
内部は、スペイン人に略奪された金銀宝石に飾られていた。

クスコの大聖堂
その後、インカトレインの出発駅、オリャイタンタンボに移動。
オリャイタンタンボのホテル
ホテル内部
夕食時にペルーワインをいただく
5月23日
オリャイタンタンボ駅からインカトレインに乗車し、104km地点から、インカトレイルワンデイトレッキングが始まります。
インカトレインでマチュピチュへ
インカトレイン(エクスペディション)
ウルバンバ川にかかる橋を渡り、トレッキングが始まります。

インカトレイルワンデイコースの104km地点の入口
インカの遺跡を眺めながらゆっくりトレッキング
プユパタマルカ(インカトレイルロングコースでは最後のキャンプ地)
インティプンク(太陽の門)
ウィニャワイナ遺跡
マチュピチュが見えました
マチュピチュに到着です。
この日は、マチュピチュ村に一旦下って、マチュピチュ観光やワイナピチュ登山は翌日になります。
マチュピチュ村のレストラン
5月24日
再度、マチュピチュに入場して、ワイナピチュに登りました。
ワイナピチュとマチュピチュ遺跡

ワイナピチュは急な登りが続きます

山頂からマチュピチュ山とマチュピチュ遺跡を見下ろします


インカトレインでクスコに戻ります
5月25日
クスコからレインボーマウンテンに行きました。

5月26日
インカエクスプレスのバスでクスコからチチカカ湖畔のプーノに移動。
5月27日
プーノ(ペルー)→ラパス(ボリビア)
5月27日
ラパス→ウユニ










2025/06/21

ペルーアンデスの山旅--ブランカ山群、ワイワッシュ山群

 
ペルー最高峰、ワスカラン南峰(中央)と北峰(右)

南米周遊の旅から戻って、中5日で、またまた南米ペルーに来ています。
今回は、ペルーの首都リマの北500kmほどにあるブランカ山群とワイワッシュ山群のトレッキングが目的です。
南北8000kmにおよぶアンデス山脈の中で、核心部というべきこの山群は、リマから、バスで7時間もかかって不便だということで、人気も知名度もあまりなかったのですが、最近、この地域の中心地で山岳都市の標高3000mのワラスの北20kmのアンタというところに空港が開港し、リマから、1時間ほどで到着できるようになり、これから観光客や登山者やトレッカーが増えることでしょう。

カランクルンでは、30年位前からこの地域に注目し、何度も訪れて、沢山の山を登りまくっては、ペーニャと呼ばれる音楽酒場で踊りまくって、また近くの温泉プールで泳ぎまくってきましたが、ここしばらくは足が遠のいていて、今回訪れたのは15年ぶり位になると思います。
首都リマの空港も6/1から完全に新しくなった空港で運用を始めたようですが、乗客の動線は以前とすこしも変った気がしないし、入管の混雑も相変わらず、ボーディングブリッジや外構の工事がまだ済んでいない所が多かった。
アンタの空港は、ブランカ山群とネグロ山群の間の細い谷底にこじんまりと作られているが、乗客150人位のエアバスが楽々発着陸できるので、ネパールのルクラのような悲壮感は感じられない。
翌日からの行動の便宜のため、ワラスには戻らず、カウラスという空港近くの鄙びた村に宿を求める。
「モンターニャ jazz」と言う名の宿で、スイスの「モントルーjazz フェス」をもじった様な名前だけど、広い良く手入れされた芝生の敷地では、毎週のように音楽イベントが開かれ、点在するシャレー(山小屋)は本格的な暖炉があったり、ロフトが付いていたりと、居心地のいい宿だった。

6月12日、パロン湖のトレッキングに行きました。
カルワスの宿からパンアメリカンハイウエィを北上し、カラスという街から、アンデスの農村地帯をしばらく進み、斧でかち割ったようなパロン渓谷に入って行きます。
両岸には高差1000m以上ある磨かれた岩壁が聳えていて、ワンドイなどブランカ山群の衛兵を務めているようです。
しばらく走り、行き止まりとなって車を捨てます。土砂崩れで車道がえぐられたようで、作業の人が渡るのに手を貸してくれますが、水しぶきが凍っていて足元の石が滑りやすくてヤバかった。
車道はまもなく、終点となり、そこにエメラルドグリーンのパロン湖(4200m)が広がっていました。
奥の正面にピラミデ(5885m)。その右側にはチャクララフ(6112m)が半分ほど見えています。
パロン湖
チャクララフ峰
ピラミデ峰
ピラミデはその名の通り、端正な三角錐で、こちらに向いている稜は見るからに細くて、あそこを登るとなると、微妙なバランスを要求するされるな!なんて、登りも(登れも)しないのに目ではルートを追うオールドクライマーでした。
613日は、ユンガイという街から、リャンガヌーコ渓谷に入って行きました。
ユンガイは1970年に、ワスカラン方面からの大規模な土砂崩れに2万人もの人が飲み込まれたところです。
リャンガヌーコ渓谷は、その素晴らしい景観から、世界遺産にもなっています。
私たちもこの渓谷からワスカランをはじめ、たくさんの山に登りました。
今回は、ここからビスコ小屋に至り、そこで一泊して、翌日はラグーナ69という美しい湖を経由して、スタート地点に戻る予定です。
トレッキングのスタート地点は、清流が流れ、牧草を喰む牛たちが点在する、穏やかな場所です。ここから、斜面を緩やかに登り、ピスコ小屋を目指します。高度差800m.ゆっくりで34時間ですが、既に4000m近い高度があるので、息が切れます。
ピスコ小屋は立派な石造りの小屋です。15年くらい前に、ピスコ峰に登ったのですが、その時はどこから登ったのかな?このピスコ小屋の記憶はありません。
ピスコ小屋
ピスコ小屋の食堂
ベッドルーム
小屋からは、ピスコはもとより、ワスカラン、ワンドイ、チャクララフ、チョピカルキ…
チョピカルキは頂上直下に幅1m位のクレバスがあり、そこをジャンプしなければ、頂上に行けません。クレバスの向こう側は幅1m位の平地ですが、すぐに氷壁が立ちふさがっています。そこをジャンプして、すぐさまダブルアックスで向かい側の壁にピックを打ち込み安全を確保。ああ、怖わ〜。その時のドキドキ感が蘇りました。
翌日はラグーナ69をめぐってスタート地点に戻りました。思ったよりも、きつい、長い道で、車に到着した時は、バテバテで暗くなりかけていました。
この日は、ワラスのホテルに泊まりました。久しぶりのワラスです。
614日、まずブランカ山群を、一望する(はずの)ネグロ山群側のウイルカコチャ湖へいったが、残念ながら雲が多くてブランカ山群は見えなかった。雲がなければ、小さな池にブランカ山群が映り込み、素晴らしい景観になったのに、残念
ウイルカコチャ湖
プラス・ライモンディの群落
その後、アンデスの女王と呼ばれる植物、「プラス・ライモンディ」の群落地を見に行った。遠くから見ると、15mにも及ぶ、黒いサボテンか、鉛筆の芯のような植物が山の斜面にポツンポツンとはえている。12年毎に、黒い部分に、12,000個もの花が咲くそうだ。
その後はワイワッシュ山群に向かう。リマと結ぶパンアメリカンハイウェイで一番高い、コノコーチャ峠で、リマ方面に別れ、山間部に入る道へと進む。今までの穴ボコのあいた道路とは異なり、きれいに舗装されている。奥に鉱山があるので、大型の車の通行に耐えられる厚い舗装になっているそうです。
幹線からはずれ、通行車も集落も数が少なくなり、山奥に入っていく感じです。ウネウネ道を下って、だいぶ標高を下げた所に結構大きな街が出てきました。チキアンという35,000人程がすむ街です。以前は、鉱山で栄えたようですが、今は、過疎化が進んで、寂しい感じ。
この先には宿はないので、この街ホテルに泊まる。ホテルと言ってもネパールのエベレスト街道沿いのロッジの感じ。
あす、6/15は世界共通「父の日」。日本では、「母の日」のおまけみたいな扱いだが、ペルーでは、「ババの日」として祭日扱いで、街のレストランや商店は休んでいるところが多い。夕食はランチボックスとカフェで済ます。
6/15、天気は下り坂。チキアンからさらに奥に進む。と言ってもしばらくはウネウネ道をグングン下る。2時間ほど走って、鄙びた村にいたり、そこには鉄製の頑丈なゲートがあって、しばらく待っているとおぼさんがやって来て通行料を徴収。通行料は村の収入になるようだ。
この辺りの女性は、クスコやボリビア方面の女性が被っている山高帽ではなく、フェルトのカーボーイハットを粋に被っている。
ゲートを越えて車1台がやっと進める山道を進む。山を削って作った道は、谷側は数百メートル落ちていて、ゾクゾクする。
恐ろしい道をしばらく行くと、トレッキングを終えた9名のスペインチームに出会った。コックの女性がアルフォンソの知り合いなので、トレッキングの様子を聞く。
ワイワッシュ山群、一周フルコース9日間のコースで、ガイド、コック、スタッフが78名、アリエロ(馬使い)が4名、ロバが10頭、緊急用の馬2頭という構成。ここで、迎えのミニバスに荷物を積み替えているところだ。
仕事を終え、嬉しそうなロバたち
仕事を終えたアリエロは山中の村に戻っていく

ワイワッシュ山群の最高峰イエルパハーは稜線が見えない
そこからは幅5m、水深2030cmの水流を4駆で通過。さらに30分ほど進むと、草原状となって、車で行けるのはここまで。周りには石積の(ネパールでいうところの)カルカが数カ所あり、牛が草をはんでいる。谷奥には、ワイワッシュ山群の最高峰イエルパハーの雪壁が見えるが、稜線は厚い雲に覆われている。
 



2018/05/25

インカトレイル・トレッキング(ペルー)とウユニ塩湖(ボリビア)

  インカ帝国は現在のペルー、ボリビアを中心に、13世紀に成立し、1533年スペインのコンキスタドール(征服者)によって滅ぼされるまで約200年にわたって栄えた国家です。
1911年、アメリカ人の探検家ハイラム・ビンガムがインカ帝国の首都であったクスコの北東70㎞ほどの標高2500mの断崖に囲まれた尾根の上の熱帯ジャングルの中にインカ帝国の遺跡を発見しました。「空中都市」と呼ばれ、1983年、世界遺産に指定されたマチュピチュです。インカは文字を持たない文化のため、だれが何の目的でいつ作られたのかはわかっておらず、神秘に満ちた遺跡として世界の人々を魅了しています。

マチュピチュ
マチュピチュ
クスコからマチュピチュに至る道路はありません。マチュピチュ発見の前からあった、アマゾンの産物をクスコに運ぶ鉄路が唯一の交通手段です。ウルバンバ川沿いを走る鉄路により、山麓の温泉の出るアグアスカリエンテス(熱い水=温泉の意。現在はマチュピチュ村と呼称されています)まで行き、発見後、開かれたジグザク道をシャトルバスでマチュピチュに登るのが一般的です。
マチュピチュに人が住んでいた当時は、もちろん、クスコから徒歩で行き来するしかなく、そのインカの古道は現在、「インカトレイル」と呼ばれ、豊かな自然も相まって人気のあるトレッキングコースになっています。
 このインカトレイルのスタート地点は、クスコからの自動車道が終わるところです。マチュピチュまで3泊4日のコースで、コースのほとんどが、国立公園のため、宿泊施設はなく、許された地点でのみのキャンプが可能ですが、ガイド、ポーター無しのトレッキングは許されていません。したがって、今回のきたろうHCの5人と私の6人パーティはガイド、ポーターなどスタッフを含め、20人もの大所帯に膨れ上りました。
 一日の入山者がスタッフも含め、500人に厳しく制限されているため、半年以上前から入域許可の取得が埋まり、「世界で一番許可が取りにくいトレッキングコース」ともいわれています。私たちが訪れたのは、まだ雨期が明けきらない時期であったので、比較的楽に入域許可をとることができました。
3/12、30数時間の長旅でしたが、アメリカ経由で無事にペルーのリマに到着。
3/13は早速、海抜0mのリマから3400mのクスコに飛ぶ予定のところ、クスコが土砂降りで出発が3時間遅れましたが無事にクスコに降り立ちました。雲は多かったのですが、時折、強い日差しが差して、暑いくらいです。遅い昼食と観光とで忙しい一日でした。リマからの急激な高度上昇にも高度障害が出る人はいませんでした。
3/14はクスコ郊外の「聖なる谷」を観光してトレッキングのスタート地点(2600m)に近い宿に入りました。
3/15、今日からいよいよインカトレイルのスタートです。
 最初はウルバンバ川に沿って、鉄路の対岸を進みます。トレイル沿いにはあちこちにインカの遺跡やテラスと呼ばれる段々畑があります。その最初の遺跡を臨むところから、ウルバンバ川と左に90度別れ、支流の渓谷に入っていきます。植生はサボテンなどの耐乾植物が多くみられます。3時間ほど歩いたところで昼食。先行しているスタッフにより、ダイニング(食堂用)テントが設営されスープ、メイン、デザートの豪華昼食。
午後からも3時間ほどで本日のキャンプ地(3000m)に到着。このキャンプ地は国立公園の境界のすぐ外側にあり、国立公園の内部にあった個人の家はこの場所に退去させられたそうで、マチュピチュまでの最後の集落です。キャンプ地も個人の住宅の裏庭のようなところで、トイレも住宅のものを利用します。




インカトレイル(2)
テラス(段々畑)を進みます
宿泊用の個人テントで旅装を解いて、ダイニングテントでお茶をいただきます。高山病にも効くといわれる、コカ茶が人気です。これをお土産に持って帰りたいという声もありましたが、コカの葉は麻薬のコカインの原料の為、伝統的に飲料されているアンデスの山岳地帯を除いては販売、移動が禁止されているので、持ち帰ればトラブルになる惧れが大きい。
3/16、インカトレイル・トレッキングの二日目です。インカトレイルは昨日登ってきた渓谷から右へ90度方向を変え、また別の谷に入っていきます。インカ古道というだけあって、コースはほぼ全線、インカ特有の石畳や石で作られた階段ができています。
また、植生は雲霧林帯から灌木帯に変化していきます。

インカトレイル(1)

この日は、このルート最高所のワルミワリュスカ峠(4200m)を通過しました。本来なら雪に覆われたアウサンガテ(6394m)が見えるのですが、あいにくガスで展望がありませんでした。峠からは急な山道を下り、1時間ほどで本日のキャンプ地(3600m)です。立派で清潔なトイレがありますが、狭いキャンプ地にはたくさんのテントがひしめいていました。
3/17、この日はインカトレイルの中で2番目に高い峠ルンクラカイ峠(3975m)を越えます。途中、半月形の美しいインカ遺跡や稜線上に造られた遺跡を見学。また、道中はコケやシダが美しい森へ植生が変化していきます。その後、岩をくり抜いたインカのトンネルを抜け、稜線上のキャンプ地(3770m)で昼食。ここからは聖峰サルカンタイ(6271m)が見えるはずですが、この日も小雨が降りだしたので、展望は得られませんでした。
峠への登り
コース中の最高地点ワルミワリュスカ峠(4200m
3/18、きょうはゴールのマチュピチュに到着する日です。世界遺産のマチュピチュはペルー人のスタッフにとっては庭みたいなもので、高い入場料を払ってまで訪れる必要はありません。彼らは近道して、下山し、早朝のローカル列車でクスコに戻ります。そのため、4時にはキャンプを撤収しなければなりません。テントを出て、チェックポストのゲートが開くのを待ちます。既に、長蛇の列で、暗闇の中、2時間待ちました。
パーミットチェックを終え、夜明け前の薄明りの道を進みます。次から次へと後続のグループが追い抜いていきます。マチュピチュの入り口のサンゲート(太陽の門)でご来光を迎えたいのでしょう。しかし、マチュピチュのまわり、特に東側には高い山があるので、きれいな夜明けは見ることはできないし、朝方はガスがかかっていることが多いので、急いで行ってもポスターなどでおなじみのマチュピチュの光景は見えないでしょう。
案の定、サンゲートに到着しても、深い霧で、マチュピチュの光景は見えないので、早々にサンゲートを後にし、マチュピチュの中心部に向かいました。サンゲートから1時間で、ゴールのマチュピチュに到着。観光客があふれていました。

マチュピチュが見えてきました
マチュピチュ(ワイナピチュが頂上だけをのぞかせている)
マチュピチュに到着

以前は続けて、遺跡の見物ができましたが、規則が変更となり、一旦、ゲートの外に出なければなりません。トレッキングの荷物を預け、再入場して遺跡群を見て回ります。
遺跡、見物のあとは、麓のホテルで久しぶりのシャワー。アグアスカリエンテ(熱い水)の地名のとおり近くに温泉施設があるので、行ってみました。丸いプールが5、6個並んでいてお湯が張られています。そこに水着着用で入るですが、どのプールも水温が低く、なかなかお湯から出ることができませんでした。
翌3/19は、再び、マチュピチュに上がりました。「マチュピチュ」とは実はインカの言葉でマチュピチュ遺跡の背後に聳える山の名前です。よく見かけるマチュピチュの写真の後にある尖った山は「ワイナピチュ」(若い山の意)で、マチュピチュ山は老いた山の意です。ワイナピチュほどではありませんが、山頂付近は断崖絶壁になっていて、急な石の階段には緊張します。
あいにく、山頂に着く頃には一面のガスで展望はありませんでしたが、天気が良ければ、マチュピチュ遺跡とは逆方向に、私達が越えてきた山並みが見えるはずだったのに残念!
3/20は、おまけで、クスコからボリビアのラパス経由の空路でウユニ塩湖に行きました。夜、スターウォッチングに行きましたが、3週間前より幾分水かさが減っているように感じました。
翌21日は、朝からウユニ塩湖を四駆で走り回りました。いいお天気で青空が湖面に映り、人が宙に浮いているように見え、広大で不思議な光景に皆さん感動されていました。
ウユニ塩湖
ウユニ塩湖
同日午後にはラパスに戻り、3/22、ペルーのリマに戻り、深夜の便で帰国の途につきました。