2021/11/03

みちのく湯めぐり癒し旅

東北の温泉、「鉛温泉」、「大鰐温泉」、「玉川温泉」、「新玉川温泉」、「乳頭温泉」の五湯に行ってきました。
いわて花巻空港が起点
2021年10月30日(土)
大阪伊丹空港からいわて花巻空港へ。
この日の宿は、花巻温泉郷の鉛(なまり)温泉、藤三(ふじさん)旅館。
開湯六百年超、源泉100%掛け流し。総けやきづくりの三階建ての建物は、まるで「千と千尋の神隠し」の湯屋の世界。歴史の風格に満ちています。
建屋の地下に位置し、立ちながら入浴する足元湧出の温泉「白猿の湯」が名物。
深さ1.25mの日本一深い自噴の岩風呂
2021年10月31日(日)
東北自動車道で青森県の弘前へ。
ランチのあと、弘前城を散策。
艶やかな紅葉

お堀に菊人形
今夜の宿は、大鰐(おおわに)温泉の星野リゾート「界 津軽」。

八百年の歴史を持つ大鰐温泉。泉質は塩化物-硫酸塩泉の無色透明、肌にやさしく保温に優れているため、神経痛、リウマチ、胃腸病、冷え性、動脈硬化、皮膚病などに効果が有ると言われています。

星野リゾート「界 津軽」
2021年11月1日(月)
八幡平山頂レストハウスまで登りましたが、岩手県側全く展望がないので、早々に玉川温泉に向かいました。
玉川温泉は、天然岩盤浴が有名。散策路を行くと、自噴泉の源泉「大噴(おおぶき)」。そこまでも、その周辺も、地面があたたかく、横になっている人もいるが、先のほうには岩盤浴小屋が2棟あった。
玉川温泉の散策路
持参のゴザを敷いて横になる
今夜の宿は「新玉川温泉」。玉川温泉から車で5分。玉川温泉は、湯治専門で、食事や設備も素朴だから、宿泊は新玉川温泉が一般的。
(新)玉川温泉は、塩酸を主成分とするpHペーハー1.2(日本一の強酸性)の強酸性泉が毎分9,000リットル湧出する。単一の湧出口からの湧出量としては日本一を誇る。効能は高血圧症、動脈硬化症、婦人病、神経痛、皮膚病、喘息など。
強酸性泉だから、ピリピリする。顔を洗ったり、体をさすったりするなという注意がある、恐ろしい温泉。
日本一の強酸性
2021年11月1日(火)
新玉川温泉から山を下り、田沢湖に出て、乳頭温泉に登っていきます。
十和田・八幡平国立公園の乳頭山麓に点在する七湯が「乳頭温泉郷」と呼ばれています。
七湯は独自に源泉を持ち、その泉質は多種多様。今回、妙の湯を目指したのですが、あいにく休業。そこで、大釜温泉に行きました。
大釜温泉は創業後、火災により焼失したので、廃校となった小学校校舎を移築し、どこかノスタルジックな雰囲気が漂います。
黒湯の泉は単純硫黄温泉。適応症は高血圧症・動脈硬化症・末梢循環障害・リウマチ・糖尿病・創傷・しもやけ・不妊症 等。

奥が露天風呂
温泉を楽しんだあとは、岩手の小岩井農場に立ち寄り、山麓館農場レストランでランチをいただき、いわて花巻空港から帰阪しました。










2021/07/25

長野県大滝村、小秀山(1982m)

御岳山の外輪にあたる阿寺山地の最高峰、小秀山(こひでやま、1982m)は御岳山の好展望台として知られる。
登山道は、岐阜県中津川市加子母(かしも)の乙女渓谷からルートと近年、開かれた長野県大滝村の白川林道からのルートがある。
今回は、最短の長野県大滝村白川林道からのルートを計画。
朝5:00に木曽福島の宿を出発。
大滝村の御岳湖畔を走り、大滝村自然湖へ。さらに南へ30分ほど白川林道を進み、小秀山の登山口に至る。
準備をして出発
6:00登山口を出発。







大滝村自然湖
この大滝村自然湖は1984年(昭和59年)9月14日の長野県西部地震により、御岳山の八合目付近から発生した山体崩壊(御嶽崩れ)の大量の土砂が、伝上川を約10㎞にわたって流下し、長さ3㎞、厚さ30~50mで堆積して、堰き止められてできたもの。
この時、上流にあった秘湯の一軒家「濁川(にごりがわ)温泉」(岐阜県側の濁河温泉とは別)は土砂に飲み込まれ、経営者のご家族4人と建物は分厚い土砂の下になったまま…。
濁川温泉は大滝村から林道を1時間ほど走り、さらに川岸に15分程下った所にあり、電気もない、ランプの宿で、お湯は赤茶色の濁ったお湯だった。経営者の孫の、当時の私と同世代の夫婦が切り盛りをしていて、囲炉裏端で岩魚や山の幸をご馳走になり、私のお気に入りで何度か足を運んだ。

蕎麦処 一竹



2021/07/24

木曽福島、木曽三河屋

 今夜の宿は、中山道、福島宿、木曽川河畔の「木曽三河屋」です。

木曽三河屋
大浴場
源泉は、炭酸を多く含んだ二本木温泉源泉から湧き出る炭酸泉です。無色透明の源泉が空気に触れると赤褐色にかわる独特の泉質です。美肌効果の他、神経痛や冷え性にも効果があると言われています

2021/04/03

湖北マキノの海津大崎でお花見

 恒例の海津大崎の花見です。


今年は人出は少ない?

カヌーやPADでお花見する人も

Oさんの別荘「湖蘭郷」でバーベキュー

2021/02/14

湖北 乗鞍岳 スノーハイキング

 

在原集落から林道を登ります
電波塔のある西峰
下山後、ジビエもある「在原蕎麦」で蕎麦をいただく
ぶつ切りのワイルドなざるそば(600円)





2020/02/19

マグレブ、日没する国 モロッコ

モロッコは、地理的にアフリカ大陸の北西部に位置し、西は大西洋に面して、北は大西洋と地中海を分けるジブラルタル海峡を挟んで、ヨーロッパのイベリア半島のスペインと対峙しています。また、東側から南側にかけてはサハラ砂漠が広がっています。 

歴史的には、サハラ砂漠のほうからは、先住民となるベルベル族が進出。その後、地中海方面からローマ帝国が勢力を伸ばし、それが衰退するとイベリア半島からゲルマン系の民族が進出する。さらに、東方からはアラブ系のイスラム帝国が進出して、モロッコを征服し現在に至っています。モロッコはまさに民族と文化の十字路に位置しています。 

また、モロッコの中央部には約2500㎞にわたってアトラス山脈が北東から南西に縦断しています。そのアトラス山脈の最高峰はツブカル山(4167m)で、モロッコの宗主国だったフランス山岳会が管理する山小屋があり、アルプスの山小屋と同じような造作とシステムになっています。その山小屋まで、馬で荷物を運び、山小屋に一泊して頂上を目指します。夏は富士山のようなガラガラ道で、登りにくい道が続きますが、危険はない。でも、冬から春、さらに初夏にかけては、積雪、残雪があり、雪山装備と技術が必要となります。今回は観光だけで登山はしませんでした。 

2/19、モロッコ最大の都市カサブランカ(首都はラバト)に到着後、レンタカーで、80kmほど南のアズムールへ向かいました。 

アズムールという街は、日本ではあまり知られていませんが、大西洋に流れ込むウムエルルビア川の河口に面し、ポルトガルの小さな漁村を彷彿とさせるメディナ(高い壁に囲まれた旧市街)のある街です。取り立ててこれという見どころはありませんが、街全体がアートで、雰囲気のいいリヤド(モロッコ風ホテル)があります。 

10年ほど前にカランクルンの皆さん15人で、モロッコを旅し、最終日に、初めてこの街を訪れ宿泊しました。その時のほとんどの人がモロッコの有名な見所は棚に上げて、「モロッコで一番良かった」とのたまった街とホテルです。 

今回でそのリアド宿泊は3回目ですが、確かに、リビングの中央には噴水があり、グランドピアノがおいてあり、たくさんの絵画が飾られていて、雰囲気のいいフランス人好みのプチホテルです。2回目に訪れた時には、Tさんが壁の絵画を気に入り、数枚、高額で購入されていました。 

今回は夕食に大きな鱸(すずき)のグリルと野菜のタジン料理を用意してくれていて、美味しいワインとともにいただいきました(モロッコは、イスラム教国ですが、飲酒には寛容で、お酒に困ることはありません。モロッコ産のワインもあります。また、モロッコは大西洋や地中海に面しているので新鮮な魚介類が獲れ、日本にも多く輸出されています。タジンはとんがり帽子のような蓋の付いたモロッコ特有の土鍋で、無水料理がおいしくできます)。 

翌2/20は、アルジャジージャという、城塞港都市を訪れたあと、モロッコ第4の都市で、貴重な歴史的建造物が豊富で、世界遺産にもなっているマラケシュに移動しました。 

マラケシュといえば、ジャマ・エル・フナ広場。毎日、陽が落ちると沢山の屋台と大道芸人が出て、お祭りのような騒ぎですが、この混とんとした広場の文化的空間が国際的に評価され、無形文化遺産に登録されています。 

屋台で夕食をとった後(屋台はお酒は無い)、大道芸を見て回ります。ヘビ使いや、猿回し、コントやパントマイム。輪投げや占い。ヘンナという植物からとった染料でのボディペイント…。 

以前、15人で訪れた時には、大道芸を見ている時や、歩いている時に、沢山の男どもがゾロゾロと付いてきて、夜陰に乗じて、女性参加者がお尻を触られ、悲鳴があがっていましたが、今回はどういう訳かそのような痴漢被害はありませんでした。 

道化パフォーマンスをやっている人だかりの最前列に入れてもらった女性参加者を目ざとく見つけた道化役は、帽子をマスク代わりにして、「チャイナ?コリア?」とコロナウイルスで笑いをとっていました。ちょうど、中国のコロナウイルス感染が拡大し、韓国にも波及して、日本ではクルーズ船での集団感染がモロッコでも連日報道されている時期でしたが、いずれも遠い極東の他人事で、「あっちへ行け」というような迷惑顔はありませんでした。それが、欧米にまで感染が拡大し、アフリカのモロッコまで広がるとは、ここにいる人は誰一人、思いもしなかったことでしょう。 

2/21、マラケシュを出発して、アトラス山脈越えに向かいます。桜の花に似たアーモンドの花が満開です。また、美肌を作ると女性に人気のアルガンオイルのお店も軒を連ねています。アルガンオイルはこのあたりでしか生育しないアルガンの木に、ヤギが登り、実を食べたヤギが吐き出した種を拾い集めて抽出されるとのこと。手間暇かかっているので、いいお値段がします。 

つづら折りの道を峠まで登ると雪をまとったツブカル山が大きく見えました。 

今度はつづら折りの道を下って、アトラス山脈を越えると乾いた地形がサハラ砂漠に続いています。ここを行く街道は「カスバ街道」と呼ばれます。 

カスバは、隣国アルジェリアのものが有名で、「カスバの女」の舞台でもありますが、アフリカ北部のアラブ諸国ではとこでも見られる、盗賊や他の村の襲撃から守るための城壁に囲まれた集落のことです。「カスバ街道」にある世界遺産にもなっているカスバ、「アイトベンハドゥ」を訪れました。映画撮影にも使われましたこの集落は、今では、観光客がいっぱい。土産物屋もいっぱい。古い情緒が無くなっていました。 

この日は、ワルザザード泊りです。ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリヒ主演で、第一次世界大戦を背景にしたアメリカ映画「モロッコ」に描かれたフランスの「外人部隊」の砂漠の中の駐屯地があったところです(名台詞「君の瞳に乾杯」で有名な映画「カサブランカ」はハンフリーボガードとイングリットバーグマンで、第二次世界大戦下のカサブランカを描いた映画です)。 

2/22はロングドライブで、まず、切り立つ断崖が続くトドラ峡谷へ行きました。ここではロッククライミングをしている人たちがいました。そのあと、乾燥地帯を走り、サハラ砂漠の入口で、大きな砂丘があるメズルーカへ。この日は砂漠のリヤド(モロッコ風ホテル)泊り。たくさんの星がきれいでした。 

2/23朝は、ラクダに乗ってサハラ砂漠にご来光を見に行きました。7時出発。まだ、真っ暗で気温が低く、手指がジンジンします。砂丘の上に登り、日の出を迎えます。日の出は8時頃。砂漠の彼方から太陽が登りました。すぐに温かくなりました。 

ホテルに戻り、朝食後、フェスに向けて、今日もロングドライブです。 

砂漠地帯をしばらく走り、山並みを越え、標高が下がると緑が多くなり、アトラス山脈の雪山が再び見えてきます。 

フェスはモロッコの内陸にある古都で、大きな街です。夕方、フェスに到着し、ナビの示す所に今日のホテルが見当たらず、ウロウロしていると、バイクに乗った兄ちゃんが近づいてきて、ホテルまで先導してくれました。前回来たときも、2~3人の若者グループが、道に迷っているのを目ざとく見つけ、ホテルまで先導してくれました。モロッコ人は日本びいきで親切です。 

2/24は、長駆、シャウエンを往復しました。 

シャウエンは街全体が青く塗られていて、映(ば)えるので人気のある街です。観光コースから外れているので、行きにくく、フェスから片道3時間半くらいかかります。 

北海道の富良野を思わせる、麦畑のパッチワークが美しい、緩やかな田園風景を快調に走っている時、スピードガンを持った警官が立ちふさがりました。スピード違反だという。レンタカーのナビにはこの道の制限速度は100キロと表示されていて、それを守っているからそんなはずはないと言いはりますが、この道の最高速度は80キロだ、モロッコのナビは正しくない、ナビを信頼するな、300ディラハム(約3000円)払えと譲らない。しかたなく、パトカーの所に手続きにいくと、「違反は初めてか?」と聞いてくる。実は、昨日も捕まって、300ディラハム払ったところですし、2年前も200ディラハム払っていますが、面倒なので、初めてだと云ったら、今回は200にディスカウントしてやると言い出しました。違反すると書類を作られそのコピーが領収書になるのですが、それは、警官にとっても面倒な作業ですし、警官自身のポケットにお金が入らない。こちらは安いに越したことはないので、喜んで200ディラハムを渡し、それでおしまい。どこの国にも悪徳警官はいる。それにかかわっている時間はありません。 

翌日も、同じ道を通りましたが、昨日の所から少し手前のところで、やはりスピード違反で停められました。私は昨日、この道を通り、取締をしているのを知っていたのでスピードを守って走っている、スピードオーバーの画像を見せろというと、今回は許してやると無罪放免に変わりました。こいつからは、金は巻き上げられないと思ったのでしょう。 

とにかく、モロッコは警官が多い。村や街の入口には必ず警官が立っています。大きな産業が無く、警官など公務員が主産業なのでしょう。今回は合計5回停められました。スピード違反で3回停められ、2回、合計500ディラハムを支払わされました。他の1回は同行者が運転している時に、中央線を割ったといちゃもんをつけられ、300ディラハムだと言ってきましたが、サイクリストを安全に追い抜くためだと抗議をしたら、今回は許してやると…。後の1回は、免許証のチェックだけで済みました。 

2/25は、フェスのメジナ(旧市街)を探索しました。 

1000年以上も前から続く、迷路のような市場(スーク)は世界遺産になっています。 

フェスは皮工芸品が有名で、「タンネリ」と呼ばれる皮なめし場も観光の一端です。いつもは、ガイドに連れられて、買うまで、なかなか出られない皮製品販売店のテラスから、植物のミントを鼻先にあてて、強烈な異臭をごまかしながら、過酷な皮なめし作業を見るのですが、今回はツーリストが行かないタンネリを見せてやるというガイドにつかまり、面白そうなのでそいつについて行ってみました。 

観光客が多い、スーク(市場)を外れ、地元の人が暮らすエリアにその「タンネリ」がありました。ミントのガスマスクなしで、強烈な臭いの中、床に散らばる何やらヌルヌルした怪しげなものを踏みつけてタンネリの中へ入っていきます。羊の皮400枚が入った大きなドラムに皮を柔らかくする効果のある鳩の糞を混ぜて、洗うこと1週間。その後、2週間染料に漬け、乾燥させて、刃物で削って、薄く、しなやかにするのだそうです。強烈な臭いにぐったりしました。 

そのあと、ローマ帝国の勢力範囲の西端に位置する都市の遺跡で、世界遺産になっているヴォルビリス遺跡を訪れ、古都メクネス泊り。 

最終日は、現在の首都ラバトを観光して、マラケシュに戻り、今回の旅は終わった。 


2019/07/28

旅の失敗(ガーミン、inreach Explore水没編)

inreach Explore(GPSナビゲーション機能搭載ハンドヘルド衛星コミュニケーター )。
要する、衛星電話(イリジウム)を利用して、携帯が通じないところでも、現在地やテキストメールを送信でき、SOSボタンをプッシュすれば、救助組織のセンターにSOSを発信して、すぐさま救助体制が採られる…
優れた通信装置。
ヒマラヤをはじめ、世界各国に持っていきました。
しかし、現在、カナダ、ユーコン準州、ユーコン川「ビッグサーモン」付近に止まったまま。
沈したまま、今も、ユーコン川に留まっています(トホホ)。