2025/07/06

南米の旅(ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル)

カランクルンの皆さんと南米に来ています。
5月19日に大阪を出て、羽田→トロント(カナダ)→サンパウロ(ブラジル)→5月20日深夜、リマ(ペルー)に到着しました。遠かった。
南米は久しぶり、7年ぶりです。リマの入国審査審査は長蛇の列で、迎えに来てくれたなじみのアルフォンソに、ツーリストはコロナ前に戻ったか?と聞くと、まだ45%程度とのこと…。まだまだ、これからですね。
5月21日は、7時に、ホテルを出発して、ナスカの地上絵に行きました。
ナスカの地上絵は、今まで3回行きましたが、リマから1泊2日の行程で、遠い割に、30分程度のフライトで上空からしか見られない。コスパ、タイパがよくないので、敬遠していたのですが、イカという所からも、フライトがあるとのことで、今回はそれを利用して、日帰り行ってきました。
リマからイカ空港まで車で4時間かかりました。イカ空港、新しく、大きくなりましたが、まだナスカ遊覧飛行でしか運用されていないようで、ガランとしていました。リマから定期便が飛ぶようになると、観光客が増えることでしょう。
12人乗り
お一人はグロッキー
機材は12人乗りで、ナスカ上空まで30分ほど。地上絵の上空までくると、片側の乗客が見やすいように、機体を大きく傾かせ、地上絵を通過すると、すぐに旋回して、反対側の乗客か見やすいように機体を傾けてくれる。以前、ナスカ空港から搭乗したフライトは、4〜5人程度の小さな機材だったので、この様な急旋回や大きな傾きはしなかったと思う。おかげで、よく、地上絵が見えたが、私たちのグループの2人が酔って、昼食の海鮮をパスした。
副操縦士?の若い女性は地上絵の解説をしてくれた。最初はスペイン語だと思っていたら、「鼻の下、鼻の下」と日本語のようだ。おやじたちに、鼻の下を伸ばしてないで地上絵を見ろよって言っているのかと思ったら、「猿、羽根の下、羽根の下」、「ハチドリ、羽根の下、羽根の下」と日本語で案内してくれていたのだ。
ハチドリ
猿(の尻尾)
90分のフライトの後、近くのパラカス港で昼食。
ここはペルーのガラパゴスと呼ばれる、バジェスタス島観光の拠点。海獣や海鳥の宝庫で、大変面白かったが、今回は割愛。
港に軒を連ねるレストランの一軒に入り、海鮮を堪能して、リマのホテルに戻ったのは20時を回っていた。
セビーチェなど海鮮を堪能
5月22日
インカの都であったクスコ(世界遺産)
マチュピチュへのゲートウェイのクスコに移動。
クスコは標高3399mもあるので、昨日の飛行機酔と相まって、気分がすぐれない。
インカトレイルやマチュピチュ観光でお世話になるガイドさんの会社でオリエンテーション、そして昼食後、クスコのメインスクエアのアルマス広場へ。
大聖堂に入場する。信仰の場なので、以前は無料だったのだが、一人40ソル(1600円)の入場料が必要になっていた。
内部は、スペイン人に略奪された金銀宝石に飾られていた。

クスコの大聖堂
その後、インカトレインの出発駅、オリャイタンタンボに移動。
オリャイタンタンボのホテル
ホテル内部
夕食時にペルーワインをいただく
5月23日
オリャイタンタンボ駅からインカトレインに乗車し、104km地点から、インカトレイルワンデイトレッキングが始まります。
インカトレインでマチュピチュへ
インカトレイン(エクスペディション)
ウルバンバ川にかかる橋を渡り、トレッキングが始まります。

インカトレイルワンデイコースの104km地点の入口
インカの遺跡を眺めながらゆっくりトレッキング
プユパタマルカ(インカトレイルロングコースでは最後のキャンプ地)
インティプンク(太陽の門)
ウィニャワイナ遺跡
マチュピチュが見えました
マチュピチュに到着です。
この日は、マチュピチュ村に一旦下って、マチュピチュ観光やワイナピチュ登山は翌日になります。
マチュピチュ村のレストラン
5月24日
再度、マチュピチュに入場して、ワイナピチュに登りました。
ワイナピチュとマチュピチュ遺跡

ワイナピチュは急な登りが続きます

山頂からマチュピチュ山とマチュピチュ遺跡を見下ろします


インカトレインでクスコに戻ります
5月25日
クスコからレインボーマウンテンに行きました。

5月26日
インカエクスプレスのバスでクスコからチチカカ湖畔のプーノに移動。
5月27日
プーノ(ペルー)→ラパス(ボリビア)
5月27日
ラパス→ウユニ










2025/06/21

ペルーアンデスの山旅--ブランカ山群、ワイワッシュ山群

 
ペルー最高峰、ワスカラン南峰(中央)と北峰(右)

南米周遊の旅から戻って、中5日で、またまた南米ペルーに来ています。
今回は、ペルーの首都リマの北500kmほどにあるブランカ山群とワイワッシュ山群のトレッキングが目的です。
南北8000kmにおよぶアンデス山脈の中で、核心部というべきこの山群は、リマから、バスで7時間もかかって不便だということで、人気も知名度もあまりなかったのですが、最近、この地域の中心地で山岳都市の標高3000mのワラスの北20kmのアンタというところに空港が開港し、リマから、1時間ほどで到着できるようになり、これから観光客や登山者やトレッカーが増えることでしょう。

カランクルンでは、30年位前からこの地域に注目し、何度も訪れて、沢山の山を登りまくっては、ペーニャと呼ばれる音楽酒場で踊りまくって、また近くの温泉プールで泳ぎまくってきましたが、ここしばらくは足が遠のいていて、今回訪れたのは15年ぶり位になると思います。
首都リマの空港も6/1から完全に新しくなった空港で運用を始めたようですが、乗客の動線は以前とすこしも変った気がしないし、入管の混雑も相変わらず、ボーディングブリッジや外構の工事がまだ済んでいない所が多かった。
アンタの空港は、ブランカ山群とネグロ山群の間の細い谷底にこじんまりと作られているが、乗客150人位のエアバスが楽々発着陸できるので、ネパールのルクラのような悲壮感は感じられない。
翌日からの行動の便宜のため、ワラスには戻らず、カウラスという空港近くの鄙びた村に宿を求める。
「モンターニャ jazz」と言う名の宿で、スイスの「モントルーjazz フェス」をもじった様な名前だけど、広い良く手入れされた芝生の敷地では、毎週のように音楽イベントが開かれ、点在するシャレー(山小屋)は本格的な暖炉があったり、ロフトが付いていたりと、居心地のいい宿だった。

6月12日、パロン湖のトレッキングに行きました。
カルワスの宿からパンアメリカンハイウエィを北上し、カラスという街から、アンデスの農村地帯をしばらく進み、斧でかち割ったようなパロン渓谷に入って行きます。
両岸には高差1000m以上ある磨かれた岩壁が聳えていて、ワンドイなどブランカ山群の衛兵を務めているようです。
しばらく走り、行き止まりとなって車を捨てます。土砂崩れで車道がえぐられたようで、作業の人が渡るのに手を貸してくれますが、水しぶきが凍っていて足元の石が滑りやすくてヤバかった。
車道はまもなく、終点となり、そこにエメラルドグリーンのパロン湖(4200m)が広がっていました。
奥の正面にピラミデ(5885m)。その右側にはチャクララフ(6112m)が半分ほど見えています。
パロン湖
チャクララフ峰
ピラミデ峰
ピラミデはその名の通り、端正な三角錐で、こちらに向いている稜は見るからに細くて、あそこを登るとなると、微妙なバランスを要求するされるな!なんて、登りも(登れも)しないのに目ではルートを追うオールドクライマーでした。
613日は、ユンガイという街から、リャンガヌーコ渓谷に入って行きました。
ユンガイは1970年に、ワスカラン方面からの大規模な土砂崩れに2万人もの人が飲み込まれたところです。
リャンガヌーコ渓谷は、その素晴らしい景観から、世界遺産にもなっています。
私たちもこの渓谷からワスカランをはじめ、たくさんの山に登りました。
今回は、ここからビスコ小屋に至り、そこで一泊して、翌日はラグーナ69という美しい湖を経由して、スタート地点に戻る予定です。
トレッキングのスタート地点は、清流が流れ、牧草を喰む牛たちが点在する、穏やかな場所です。ここから、斜面を緩やかに登り、ピスコ小屋を目指します。高度差800m.ゆっくりで34時間ですが、既に4000m近い高度があるので、息が切れます。
ピスコ小屋は立派な石造りの小屋です。15年くらい前に、ピスコ峰に登ったのですが、その時はどこから登ったのかな?このピスコ小屋の記憶はありません。
ピスコ小屋
ピスコ小屋の食堂
ベッドルーム
小屋からは、ピスコはもとより、ワスカラン、ワンドイ、チャクララフ、チョピカルキ…
チョピカルキは頂上直下に幅1m位のクレバスがあり、そこをジャンプしなければ、頂上に行けません。クレバスの向こう側は幅1m位の平地ですが、すぐに氷壁が立ちふさがっています。そこをジャンプして、すぐさまダブルアックスで向かい側の壁にピックを打ち込み安全を確保。ああ、怖わ〜。その時のドキドキ感が蘇りました。
翌日はラグーナ69をめぐってスタート地点に戻りました。思ったよりも、きつい、長い道で、車に到着した時は、バテバテで暗くなりかけていました。
この日は、ワラスのホテルに泊まりました。久しぶりのワラスです。
614日、まずブランカ山群を、一望する(はずの)ネグロ山群側のウイルカコチャ湖へいったが、残念ながら雲が多くてブランカ山群は見えなかった。雲がなければ、小さな池にブランカ山群が映り込み、素晴らしい景観になったのに、残念
ウイルカコチャ湖
プラス・ライモンディの群落
その後、アンデスの女王と呼ばれる植物、「プラス・ライモンディ」の群落地を見に行った。遠くから見ると、15mにも及ぶ、黒いサボテンか、鉛筆の芯のような植物が山の斜面にポツンポツンとはえている。12年毎に、黒い部分に、12,000個もの花が咲くそうだ。
その後はワイワッシュ山群に向かう。リマと結ぶパンアメリカンハイウェイで一番高い、コノコーチャ峠で、リマ方面に別れ、山間部に入る道へと進む。今までの穴ボコのあいた道路とは異なり、きれいに舗装されている。奥に鉱山があるので、大型の車の通行に耐えられる厚い舗装になっているそうです。
幹線からはずれ、通行車も集落も数が少なくなり、山奥に入っていく感じです。ウネウネ道を下って、だいぶ標高を下げた所に結構大きな街が出てきました。チキアンという35,000人程がすむ街です。以前は、鉱山で栄えたようですが、今は、過疎化が進んで、寂しい感じ。
この先には宿はないので、この街ホテルに泊まる。ホテルと言ってもネパールのエベレスト街道沿いのロッジの感じ。
あす、6/15は世界共通「父の日」。日本では、「母の日」のおまけみたいな扱いだが、ペルーでは、「ババの日」として祭日扱いで、街のレストランや商店は休んでいるところが多い。夕食はランチボックスとカフェで済ます。
6/15、天気は下り坂。チキアンからさらに奥に進む。と言ってもしばらくはウネウネ道をグングン下る。2時間ほど走って、鄙びた村にいたり、そこには鉄製の頑丈なゲートがあって、しばらく待っているとおぼさんがやって来て通行料を徴収。通行料は村の収入になるようだ。
この辺りの女性は、クスコやボリビア方面の女性が被っている山高帽ではなく、フェルトのカーボーイハットを粋に被っている。
ゲートを越えて車1台がやっと進める山道を進む。山を削って作った道は、谷側は数百メートル落ちていて、ゾクゾクする。
恐ろしい道をしばらく行くと、トレッキングを終えた9名のスペインチームに出会った。コックの女性がアルフォンソの知り合いなので、トレッキングの様子を聞く。
ワイワッシュ山群、一周フルコース9日間のコースで、ガイド、コック、スタッフが78名、アリエロ(馬使い)が4名、ロバが10頭、緊急用の馬2頭という構成。ここで、迎えのミニバスに荷物を積み替えているところだ。
仕事を終え、嬉しそうなロバたち
仕事を終えたアリエロは山中の村に戻っていく

ワイワッシュ山群の最高峰イエルパハーは稜線が見えない
そこからは幅5m、水深2030cmの水流を4駆で通過。さらに30分ほど進むと、草原状となって、車で行けるのはここまで。周りには石積の(ネパールでいうところの)カルカが数カ所あり、牛が草をはんでいる。谷奥には、ワイワッシュ山群の最高峰イエルパハーの雪壁が見えるが、稜線は厚い雲に覆われている。
 



2025/05/08

中国、雲南の旅~梅里雪山を訪ねて

 

中国、雲南省に行ってきました。目標は、横断山脈の梅里雪山です。
ユーラシア大陸にインドがぶつかって、その間にあった海が東西方向に持ち上げられたのがヒマラヤ山脈。
その東の端で、インドのさらなる圧力でヒマラヤ山脈が90度近く押し曲げられ、南北方向に走ったのが、今回、訪れる横断山脈です。
「横断山脈」と名付けられたのは、中原に住む漢族から見れば、東西交通を阻むように横断して立ちはだかるように見えることからだそうです。
横断山脈は多くの高い山脈や深い渓谷が並行しています。最高峰は、多くの犠牲者を出し、松田さんが奇跡の生還をしたミニヤコンカ(7556 m)。
また、この地域はアジアの大河、金沙江(きんさこう=長江源流)・瀾滄江(らんそうこう=メコン川源流)・怒江(ぬこう=サルウィン川源流)が並行して流れ、「三川併流」と呼ばれるところで、独特の動植物層の豊かな自然は世界遺産に登録されています。
今回私たちは、少数民族の住む麗江から、玉龍雪山を訪れ、さらにチベットと四川を結ぶ茶馬街道を北上して、「桃源郷」を意味する香格里拉(シャングリラ)に至り、更に北上して、瀾滄江と怒江に挟まれた梅里雪山を目指します。
4月27日 上海経由で麗江着。
屋台の串焼きで乾杯!

4月28日
麗江から玉龍雪山に行きました。
玉龍雪山の最高峰は5596mですが、4500mまでロープウェイで上がれます。立山みたいなものですが、室堂(2450m)よりも2000m以上も一挙に上りますので、私も、クラッときて、息苦しかった。
ロープウェイで4500mまで上がります
観光客がいっぱい

玉龍雪山をバックにした野外ステージで「麗江之印象」という大掛かりなパフォーマンスをやっていた

4月29日
麗江から虎跳渓に寄り道して、徳欽まで来ました。
虎跳渓は金沙江(サルウィン川)の上流部で、川幅が10m位に狭まる大ゴルジュです。凄い勢いで流れていました。虎でも一発で対岸にジャンプは無理でも、真ん中の巨岩に飛び石すればジャンプできるかも
長いエスカレーターを乗り継いで川辺まで降ります
一番狭くなっている所です
4/30
山間の谷間に広がる徳欽の街
朝、徳欽は雨で、期待していた金色に輝く梅里雪山の朝焼けは見られませんでした。
当初の予定では、徳欽~飛来寺~西当まで、タクシーで行き、そこから雨崩(レボン)村の4WDに乗り換えて、上雨崩村にはいる予定でした。しかし、一週間ほど前に、このルートは補修のため、通行できないので、尼農(ニノン)村から上がってきてくれとの連絡が来た。
徳欽から、深い霧の中を瀾滄江(らんそうこう=メコン川)を目掛けて下って行きます。立派な道ですが、途中からショートカットして、車幅しかない、ガードレールもない、急斜面の恐ろしい道を下りました。
谷底まで下って、橋を渡った所がニノン(尼農)村です。広い駐車場にマイカーがいっぱい停まっています。
マイカーがたくさん駐車しています
瀾滄江の川辺に工場のようなものもあり、秘境のイメージはありません。
これがみんな雨崩村に行く人?
秘境のイメージは既に無くなっていましたが…
次々とハイカーが出発します。
私たちも二泊三日の装備を担いで出発。ジグザグの急登から始まります。休み休みで、30分ほどで、高度差100mほど稼ぎ、水平道になって、チェックポスト。入山料を支払います。55/人のところ、70歳以上は無料。65歳以上は半額。
雲南の観光地はどこも、一緒で、我々、シニア隊には大助かり。
水平道は山側に暗渠の用水路があり、幅は2mほどありますが、谷側はスッパリと切れ落ちていて、水面まで200300mあり、黒部の下の廊下みたい。
上からもどんどん人が降りてきます。すれ違いで、つまずいて転落しないよう山側歩きます。


ほとんどが、10代〜30代位の若い人たち。我々、ジジババに気が付いた人は驚いて、「ニーハオ」と親指を立ててすれ違っていきます。
1時間ほど歩いて、深いゴルジュ帯に入って行き、道も細くなって登りになっていきます。
左岸から右岸に渡るとますます
急坂になって息が切れます。
バイクタクシーがけたたましい警笛を鳴らして狭いところでは1mにも満たない山道を疾走していきます。
オートバイが疾走していきます
上りも下りもたくさんの人が追い越し行き違っていきます。
一つ目の茶店を過ぎると道はますます急になり、登る方も下る方も、滑りそうで怖い。
二つ目の茶店を過ぎると、傾斜は緩くなり、道幅も広くなって、所々、ネパールでいうカルカ(放牧地)が出てきて、ヤクやゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が草を喰んでいます。雨崩(ユーボン)村に入ったことを知ります。
山の斜面に大きな建物が見えきて、橋を渡って、ゴンパ(チベット仏教寺院)が出てきて、下村に到着です。






ニノン村から6時間かかって雨崩(ユーボン)下村に着きました。私たちの予約している宿がある上村は山腹に見えているのですが、さらに徒歩で1時間ほどかかります。
近くの茶店で休み、車を呼んでもらいました。村の4WDがすぐにやって来て、お客を詰め込んで上村を目指します。
つづら折りの未舗装の車幅いっぱいの道を飛ばしていくので、体が前後左右に揺さぶられます。それでも、10分ほどで目的の宿に着きました。案内された部屋は、一面ガラス張りで、そこから見る梅里雪山には思わず息をのみました。


5/1
日の出は6時45分頃。広い中国は全土、北京時間を採用しているので、南西端の雲南は実質2時間位の時差がある。
梅里雪山は、この辺りの山の総称で、最高峰は京大隊が遭難したカワクボ(卡瓦格博、6,740m)ですが、雨崩村からは見えず、眼前に見えるのは鋭く尖ったメツモ(神女峰、6,054m)と龍の背中のようなギザギザした
ジャワリンガ(五冠神山、5,470m)です。その稜線までは見えているのですが、今朝は、赤く焼けずに陽は昇りました。
今日は、京大隊がBC(大本営)を置いたカルカ(夏の牧場)を目指します。










宿の周辺には、テラスやガラス張りのサンルームを備えた、小洒落た民宿が立ち並び、3階、4階建てのホテルの建築ブームです。
上村のセンター(中心)には、カフェやバーやスーパーやコンビニ(超市)があり、四川、広東など各種中華レストランが立ち並んでいます。中には店の前に置いた水槽に食材になる魚が10匹位泳いでいます。村外れにはグランピングの施設もありました。
このチベット族の聖地の秘境村を訪れるのは若い漢族で、ほとんどの観光客はスマホやGoProで、中にはドローンで撮影、録画しています。それを中国版SNSに配信して、それを見た若者が秘境感とリラクゼーシ ョン?を求め、次々に訪れてくる。若者にとっては、雨崩村はディズニーランドみたいなものなんでしょうね?(行ったことないけど…)
その上、商機を見るに敏な中国漢族商人が若者をターゲットに新しい商売を始めている、そんな感じかなぁ?知らんけど…
高原地帯を過ぎ、山道に入って、ぐんぐん登っていく。昨日もそうだけど、ゴミがあちこちに落ちている。みんな最新ウェアと着ているが、ゴミを持ち帰るという習慣はまだ纏っていないようだ。
コルの所まで来て、そこからの下りは滑り止めがないと、しんどそうなので、あっさり引き返すことに。どうせ、その先までいっても、ガスガスで山は全く見えない。
村まで戻って、カフェでお茶して宿に戻りました。
5/2
今朝は雨崩下村は見えているが、稜線は見えなかった。
今日は下山の日。登って来るときに予想以上に時間がかかったので、予定を早めて、8時に出発。
少し下るとカフェがあった。入って、コーヒーと行動食で朝飯を済ませる。久しぶりに本格的なコーヒーだったが、ワンオペのせい?それとも高度(3200m)のせい?ぬるかった。
下村を9時30分にスタート。1時間ほどは、上がってくるハイカーには出会わなかったが、茶店までくると、先頭集団がわんさか登ってきていた。
そこから急坂が続くが、絶え間ない人の列。3日前より多い。中国も連休のようだ。
日本の山でのあいさつ「こんにちは」は中国では「ジャヨ(加油)」。油を加えろ=元気を出せ=がんばれ!うまいこと言うもんだ。
限りないので、応答するのが面倒だ。
中には、私の顔を見て「おお、あそこまで行ってきたのか?」という表情でサムアップするやつ…。
私たちの登りの時は、雨がぱらついていて、滑りやすかったが、今日は乾いていて助かった。
13時頃、水平道までくると一安心。少なくなったとはいえ、まだまだ、人がやってくる。今から登れば遅くなろうに…。
14時、ニノン村駐車場に到着。迎えの車と約束していた時間より1時間早かった。
1時間位、待つのは大したことがないと思ったが、そこにいて、世間話をしていたおじさんが、運転手さんだと気がつくまで30分かかった。
予定より早く、徳欽(ドーチン)のホテルに戻ったが、レセプションがもたついて、30分以上のロスタイム。
幸い、チェックインに来たカップルが、英語で中継してくれて、無事にチェックでき、私たちの梅里雪山最奥の雨崩(ユーボン)村訪問は終わりました。
ヒマラヤ山中の奥深いナムチェバザールやネパールとチベット国境のザンムーが、ずっと前からホテルやゲストハウスやレストランが立ち並び、ディスコ(ふる〜)さえあり、「ここはどこやねん?」と思ったことを思い出せば、雲南の奥地だけ一人、秘境であり続けるのはとうてい無理な話で、秘境の観光地化だと嘆くのは、単にジジイの繰り言かもしれないが、チベット仏教の聖地、聖山に対する崇敬の念や、自然に対する畏敬の念をもっともって望むべき…なんちゃって…
5/3








徳欽からシャングリラ(香格里拉)に移動。白馬雪山の下を抜ける長いトンネルで、瀾滄江(メコン川)から金沙江(サルウィン川ではなく長江の間違い)側に出たことになる。
シャングリラはもともと雲南省、迪慶蔵族自治州(デチェン・チベット族自治州)の中心都市で、元々の地名は「中甸」でした。
シャングリラとはイギリスの作家ジェームス・ヒルトンの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前で、
このモデルになった街だということで、2000年に改名されました。
世界には「シャングリラ」を自称する所がいくつもありましたが、ここが先占して、本家だと宣言したのです。
また、ここは古来から、チベットのラサと雲南の昆明を結ぶ、重要な交易路の中継地で、雲南からはお茶を、チベットからは強い馬が運ばれてきたので、茶馬古道と呼ばれています。
シャングリラには古城があり、城内には古い町並みがのこっていましたが、2014年の大火で焼失し、現在は昔の町並みを再現した観光地となっていて、飲食店や、土産物屋が軒を連ね、チベット族のコスプレをしたバカップルで混雑していました。
5/4






シャングリラ大渓谷(グランドキャニオン)に行って来ました。
昨日、徳欽から戻ってきた道を1時間ほどバックした所から、山間に入って行きます。しばらく行くと、巴拉格宗(パラゲゾン)国家公園のゲートです。
ゲートからバスを乗り換えて、斧で断ち割ったような高差数百メートルの大渓谷の谷底をしばらく走り、52のカーブのクネクネ道を登って、巴拉(パラ)村に到着。
バラゲゾンとはチベット語で「神々が住む場所」だそうです。白い雲に覆われた雪を頂いた山々がそびえ立ち、深い谷間には流れの早い渓谷が流れています。
この地は、かつて四川省のバタン地域から移住してきた人々が、何世代にもわたって住んでいました。
しかし、あまりにも隔絶されていたので、政府の政策で、住民は山麓に移住し、今では観光地として整備されています。
パラ村のチベット式食堂で昼食後、バスを乗り換えさらに上部に進みます。
つづら折りを行くと、巨大な岩峰が見えてきます。ドロミテのトレチメやパタゴニアのフィッツ・ロイを凌ぐサイズの岩峰が立ち並び、圧巻です。仏僧が座禅しているような姿から、シャングリラ仏塔として、崇められています。
終点は、標高4200mの雪原で、スノーモービルで、10人位乗ったソリを引っ張るアトラクションを2台でやっていて、仏塔というにはそぐわない光景でした。
下りのバスに乗って展望台やチベット寺院に立ち寄って、国家公園を後にしシャングリラに戻ってきました。
これから、四川省成都に飛び、5/5の朝の便で帰国します。