2014/08/05

ユーコン川をカヌーで下ってきました

カナダのユーコン川をカヌーで下ってきました。

今回はユーコン川の支流、テスリン川。
夜は(と言っても白夜で24時頃まで明るいのだ!)グリズリーに注意して、いいキャンプ地を探して上陸、たき火を起こして、釣り上げた魚を焼いて食す。
ワイルドだぜー(古う~)

2014/06/22

長野県/群馬県、四阿山(あずまやさん、2354m)

四阿山に登りました。アコンカグアで知り合ったO君が来てくれたので、彼の車を鳥居峠に置いて、あづまや高原ホテルから登って、鳥居峠に下りてきました。ミズナラの新緑が素晴らしかった。

2012/11/29

長崎県、雲仙普賢岳(1483 m)

雲仙普賢岳に行ってきました。
多くの人が犠牲になった平成3年の噴火、火砕流からもう20年以上になるのですね。
普賢岳頂上の後方に見えるのが、平成新山。あいにくの雨空で、わかりにくいですが噴煙が上がっているのが日本で一番新しい平成新山です。

2012/05/14

奈良県/三重県、大台ケ原~大杉谷

大台ケ原から大杉谷に行ってきました。
2004年9月の台風で通行止めになっていた大杉谷。まだまだ堂倉小屋~七つ釜間は通行止めですが、桃ノ木小屋が4月28日から7年7ヶ月ぶりに営業を再開したので、大台ケ原から日出ヶ岳を経由して行ってきました。堂倉小屋から大杉林道を通って、桃ノ木小屋に到着し、宿泊。
翌日は七ツ釜を往復後、宮川ダム方向に下山しました。岩壁に穿たれた登山道は気が抜けないけど、ニコニコ滝、平等嵓、シシヶ淵、千尋滝など新緑の中に素晴らしい光景を楽しむことができました。
七ツ釜
黒部の下の廊下みたい


平等嵓吊橋

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2012/05/08

ダイトレにバイオトイレが完成

 ダイトレを平石峠~大和葛城山(往復)。
岩橋山の南1㎞ほどの所に大阪府が設置したバイオトイレが完成していました。洗浄水を浄化して再利用する優れものです。
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2012/04/30

長野県、北信五岳


北信五岳は、長野県北信地方の長野盆地から望める五山の総称。斑尾(まだらお)山(1381m、三百名山)、妙高山(2454m、百名山)、黒姫山(2053m、二百名山)、戸隠山(1904m、二百名山)、飯縄山(1917m、二百名山)の五山をいいます。地元では「まみくとい」という愛称で呼ばれている。



斑尾


戸隠山


2009/10/26

チベット、ラクパ・リ(7045m)登頂

8月24日 22:00関西空港集合
8月25日 関西00:30~TG  673~バンコク~カトマンズ【ゲストハウス泊】
8月26日 ~(専用車)~ドンチェ【ロッジ泊】
8月27日 ~ラウルビナヤク(3930m)【ロッジ泊】
8月28日 ~(4h)~ゴサインクンド【ロッジ泊】
8月29日 ~スリヤピーク(5144m)~ゴサインクンド【ロッジ泊】
8月30日 ~ドンチェ【ロッジ泊】
8月31日 ~(専用車)~カトマンズ【ゲストハウス泊】
9月1日 "カトマンズで休養【ゲストハウス泊】
(後発)22:00関西空港集合"
9月2日 "カトマンズで休養【ゲストハウス泊】
(後発)関西~バンコク~カトマンズ(先発と合流)"
9月3日 KTM~コダリ(ネパール側国境)~ザンムー(中国側国境2350m) 【ホテル泊】
9月4日 ザンムー~ニェーラム (3750m) 【ホテル泊】
9月5日 ~ティンリー(4300m)【ホテル泊】
9月6日 ティンリー(5000m付近まで順応)【ホテル泊】
9月7日 ティンリー~チョモランマBC(5150m)【テント泊】
9月8日 BC(5150m)休養、準備【テント泊】
9月9日 BC(5150m)休養、準備【テント泊】
9月10日 BC(5150m)休養、準備【テント泊】
9月11日 ~(3h)~ジャパニーズキャンプ(5200m)【テント泊】
9月12日 ~(6h)~チャンツェBC(5800m) 【テント泊】
9月13日 ~(3h)~ABC(チョモランマ、ラクパ・リBC)(6350m) 【テント泊】
9月14日 休養、準備【テント泊】
9月15日 ABC~ラクパ・リ(7045m)~ABC(約10時間)【テント泊】
9月16日 予備日
9月17日 予備日
9月18日 予備日
9月19日 予備日
9月20日 ラクパ・リABC~チョモランマBC【テント泊】
9月21日 ~ザンムー【ホテル泊】
9月22日 ~コダリ~KTM【ゲストハウス泊】
9月23日 KTM観光、休養
9月24日 KTM~バンコク~【機中泊】
9月25日 ~早朝、関西(解散)




2005/10/17

 

アマダブラム登頂報告                                              
アマダブラム(6812m)はエベレスト街道の左岸に聳える山で、「母の首飾り」を意味し、母なるエベレストを美しく飾っている峻峰です。
林、松岡の両名はカラパタール、ロブチェイースト峰(6119m)で高度順応をした後、アマダブラムに向い、10月17日、ワンプッシュで登頂しました。期せずして今季初の登頂となりました。

アマダブラム頂上に立つ林(右)と松岡(左)。バックはマカルー
アマダブラムルート図












                                         
  
若くて元気なアン・ダワシェルパ


【10月11日】
カラパタール、ロブチェ登山で高度順応を終わった私たち(林、松岡、土居、ウォンディ・シェルパ)はトゥクラからペリチェを通って、パンボチェへと下り、そこからエベレスト街道を離れてアマダブラムBCに入った。
BCにはカトマンズからナムチェバザールまで一緒に来たサーダー(シェルパ頭)のラクパ・シェルパと新顔のアン・ダワ・シェルパとコックのテンバ・シェルパの3人が先に入り、BCを設けて登山活動を進めている。
一昨年のチョーオユー、昨年のトゥクチェ・ピークなどを一緒に登ってきたラクパ・シェルパは今年の春はチョモランマ(エベレスト)に行ったが、調子が悪く途中でカトマンズに戻ったとのことで、今回は外したかったのだが、活きのいい、若いアン・ダワを連れてきて、自分も何時にないモチベーションの高さを見せていたので、今年も彼をサーダーとして採用した。
アン・ダワは30歳前の今風の若者で、女性エベレスト・サミッターとして5回の記録保持者、ラクパ・シェルパ(サーダーと同姓同名)の従兄弟だそうで、2回エベレストにサミット。アマダブラムにもサミットし、ルートに精通している。
彼らがBCに入った10/2には、まだカナダ隊、ロシア隊、アメリカ公募隊の先発隊くらいしか入山しておらず、BC(4600m)の真ん中の好位置にキッチンテント、ダイニングテント、個人テントなどを張って我々の到着を待っていてくれた。
登山活動のほうは、既に3回、上部に上がったそうで、C1(5500m)、C2(5900m)を設置し、他隊と協力してC2までFixロープを張り終えたそうだ。
アン・ダワによると、C1~C2間が核心で、今日にでも先頭にいるロシア隊がC3に達するので、今季初の登頂も間近とのことで、私たちも登頂に希望が持てそうだが、カナダ隊は時間切れで、登頂できないまま下山するとの情報が寄せられ、一抹の不安も覚える。

【10月12日】
朝、ウォンディーシェルパの主導で安全登山のプジャ。そのあと全員がBCで休養。音楽を聞いたり、洗濯をしたりしてのんびりと過ごす。

【10月13日】
土居さんがウォンディ・シェルパと帰国に向け、BCを出発。
他のメンバーはもう一日休養。

【10月14日】
登頂に向け、朝からBCを出発すべく準備をしていた。まさに出発しようとしたとき、他隊のシェルパからロシア隊がまだC3(6300m)まで、達していないとの情報がもたらされた。私たちは、一番乗りを目指すわけではなく、確実に登るためには、どこかのチームがサミットしてからのほうがいいと考え、出発を見合わせ、結局、今日も休養日となった。
アン・ダワはC2に泊まることになっていたので、既に早朝にBCを出発した後だった。
午後になってC2に達したアン・ダワから無線が入り、先端のC2にはロシア隊が滞在しているものの、C3へのルート工作で難渋していること、でも、明日にはアン・ダワが先頭に立ってルート工作を行い、C3に達するであろうことを知らせてきた。

【10月15日】
登頂への見通しがついたので、林、松岡、ラクパはBCを出発してC1に向かった。
BCからアマダブラムとは反対側(南側)にある長い緩い山稜を東にたどり、高度を上げながら、アマダブラムの南西稜の末端に回りこんで行く。約5000mまではヤクも登れる道で、ここにABC(アドヴァンス・ベース・キャンンプ=前進ベース・キャンプ)を設け、キッチンも上げてBCへの帰幕を省力化しているチームもある。
さらに回り込むように登っていくと、大まかな岩の堆積したところで、踏み跡は不明瞭になるがやがて、稜線直下、黒い岩壁に張り付くようにたくさんのテントが見えてくる。C1だ。
岩壁の取り付まで進むと、2P、ロープがFixしてあったが、緩いのでFixに頼らなくても大丈夫。でも、転がり落ちると何百メートルも下まで行ってしまうだろう。
C1は大きな岩の堆積したところで、岩を並べて平らにして、テントサイトを作ってある。広くていいポジションのところに我々のテントが張ってあった。
我々が到着してまもなく、アン・ダワが上部から降りてきた。今日はC3までルートを延ばし、アメリカ隊に頼まれたテントも持ち上げ、設営してきたと。代償としてそのテントを使ってもいいとのことで、C3にはC2のテントを持ち上げる予定であったが、これで楽になる。

【10月16日】
C1を出発して上部に向かう。C1~C2間が核心だそうだが、距離的には短いので、C2を飛ばし、今日はC3に入る予定。
C2までは雪が出てこないし、ほとんどが岩登りということで、ブラブーツは担いで、トレッキングシューズで行く。
まず、南西稜の東側斜面をトラバースし、ところどころ3級程度の岩登りを交え、高度を稼いでいく。とりたてて難しくはないが、転がり落ちると下のほうまで行ってしまうから、カラビナスルーか登高器(アッセンダー)をセットして登る。
やがてレッドタワーと呼ばれる岩壁。レッドタワー自体は200mくらいの赤黒い岩搭だが、トラバースしてきているので、登るのは最上部20mくらい。この部分は5級とルート中の核心部だが、真新しい11mmのロープが2本Fixさせていた。難しい所以は出だしはホールド、スタンスが乏しく、最上部はかぶっているからだろう。
ここを登高器をかませてFixされたロープを力ずくで登るのがシェルパ流の登り方。私はロープにぶら下がって、約2m右にある、小さなスタンスに立ち、そこからクラック沿いに細かいホールド、スタンスをひらって登ったが、たやすく上部に達した。かぶっているところは右端の凹角状を登れば楽勝と思っていたが、そこは案外フリクションが効かず、Fixに引っ張られて宙ぶらりんになってしまった。そこからはFixを強引に登って突破することができた。
レッドタワーから少し一旦下り、次の岩塔の上にC2(5900m)が張ってあった。
まさにテントの床部分のスペースしかないところで、用を足すにもセルフビレーは欠かせない場所だ。
ここでプラブーツに履き替え、C3に向け再び出発。
一旦、下り気味に次の岩塔を巻き、そこでアイゼンを装着し、3Pの岩壁に取り付く。ところどころ雪が付いている。そこを登り切ると南西稜上に這い上がり、BC側が見下ろせる。そこからは急な細い雪稜、岩壁、雪壁が次々に現れ息つく暇がない。
ルートは南西稜の西側(ベースキャンプ側)を進む。1500mくらい下にBCのテント群が小さく見え、すごい高度感だ。
ハンギンググレーシャー(懸垂氷河)が段になっているところは氷壁がかぶっていて足元も崩れやすく、登りにくい。ここがネックでルートが伸びなかったのだが、アン・ダワの活躍で昨日、ルートができたらしい。片手にアックス、片手にアッセンダーで登るが、ロープの末端が固定されていなかったので、アッセンダーが上がらず、歯でロープを咥えて、アッセンダーを引き上げて突破した。
まもなく、ナイフリッジとなり、そこを通過すると傾斜が緩んでC3(6300m)に到着。
C3は懸垂氷河の上の平らなところで、C1以降、唯一、息を抜ける場所だ。
懸垂氷河といってもパンボチェあたりから見える、今にも落ちそうな大きな懸垂氷河ではなくその下にある小さなやつで、実際は東側に切れ落ちているので、パンボチェあたりからは目立たない。記録ではここをC2と呼んでいる隊もある。
C3には、テントが5~6張り。ロシア隊の隊員が10人くらい佇んでいた。
彼らは朝から頂上アタックを企て、私達がここに至るまでにもその様子が見えていたが頂上まで200mくらいFixロープが足らず、頂上に届かず、降りてきて、明日、もう一度アタックするようだ。
彼らは14人という大きなグループであるにもかかわらず、クライミング・シェルパを一人も雇わず、ロープも100mしか持って来ていないとのことでそれもどこに使ったのやら。他の隊によってルートができるのを待って、それを伝って楽に登る予定だったのに、何時までたってもルートが延びないうちに終了時間が迫ってきて、やむなく先頭に出てしまったというのが実情だろう。
他の隊のシェルパ、特に我が隊のアン・ダワに全面的に頼って、それをアゴで使うのは全く浅ましく、厚かましいやつらで好感の持てない連中だ。
私はテントの前で、一服していると「ノースモーキング」という声が飛んできた。「ここはオープン・エアーだ」と応じたが、6300mのテントの外で吸っているのに全く大きなお世話だ。

【10月17日】
4時、ロシア隊と同時にC3(6300m)をスタート。隊列となってヘッドランプの灯りが続く。
C3からはすぐに50~60度くらいの急雪壁が200m。ここにもFixが張ってあるが、皆が通過したあと、これを外して持ち上げて、頂上直下に張るという。アン・ダワからはC3~頂上は雪壁で、Fixが無くてもメインロープで行けると聞いていたので、面倒なことをするなあと思ったが、我々の安全性も高まるので、敢えて反対はしなかった。
雪壁から大きなハンギンググレーシャー(懸垂氷河)の縁を回り込み、その上に這い上がると大きなクレバスの縁の平坦な所に出て、ここでアン・ダワがFixロープを引きながら追いついてきたので、彼を先にやる。
その先は段差になったところで、前のロシア人が苦戦していたので、尻を押してやった。そこからは雪壁状だが、頂上直下のヒマラヤひだの間を登っているのだろう。
しばらくすると先頭の動きが止まった。先端がロープを張っているようだ。
夜は既に明け、周りは明るいがまだ陽が届かないので寒い。その上、不安定な足場。退屈しのぎに周りのロシア人を見ると、こいつら誰もアックス(ピッケル)を持っていないことに気が着いた。ザックに刺しているのかとも思ったが、そうでもない。はなから持ってきていないのだ。これではFixが無いと登れるはずがない。
アン・ダワが引っ張っていったロープが伸び、反対の末端を付けたラクパが登って来て追い越していくが、しばらくして動きが止まる。前に立ちふさがったロシア人が、「動くな!」と言ったのだろう。1本のFixにたくさんの人間がぶら下がることを心配しているのだろうが、ラクパが登らないことには新しいFixは延びない。あのロシア人はそのことがわかっていないのだろう。寒くて、痺れをきらした私はメインロープをマッちゃんとの間に結び、コンテで登り出した。ラクパのところまで登って、先に進むよう言うつもりだ。一応、バックアップでFixロープにカラビナをかけてはいるが、Fixにテンションがかかっていないことをアピールしながら登る。そのうち隊列が動き出し、ラクパとその前に立ちはだかっていたロシア人もFixを伝って登り出した。結局、ラクパには追いつかず、彼は先頭でルート工作を手伝っているようだ。
私たちに追い抜かれたロシア人達は「こいつらに抜かれてたまるか!」っていう勢いで、私たちに追いついて来たので、Fixからバックアップのカラビナを外して、ユマーリングの彼らを先にやる。ちょうどその時、マッちゃんが足を滑らせた。ロープが延びた分、2mほど滑ったが、ピッケルでビレーを取っていたのですぐに止まった。一緒に引きずられていたら、ロープを付けたまま2000mの空中ダイブをやるところだった。
「ざまあ見ろ」という冷たい視線を背中で感じながら、何事もなかったように装ってコンテで登高を続ける。
先ほどラクパの前に立ちふさがっていたやつだろう。上のほうから私たちのほうを向いて「登るな!」と怒鳴っている。間隔を空けろとか、ロープに負荷をかけるな!という意味だろうが、「ロープにテンションはかけていない。お前たちがアックスを使ったらもっと早く登れるんだ!なんで、アックスを使わないんだ!」と怒鳴り返したら、あきらめて登って行った。
しばらくすると、ヒマラヤひだの谷の部分から、右のリッジの部分に這い上がる。この細いナイフリッジはくの字になって頂上台地に繋がっている。本来なら屈曲するところにもう一本スノーバーがほしいところだが、手持ちのものが無くなったため中間支点を取らないまま、最終地点にスノーバーを打ち込んだのだろう。ナイフリッジ自体の傾斜は50度くらいだが、リッジの側壁は80度くらいで、そこをアックスを頼りにトラバースするのは緊張した。再び広くなったリッジに這い上がれば頂上の一角。先に登っていたシェルパが迎えてくれた。頂上は奥行き20m、幅50mくらいの台地だが、雪庇が張り出しているので、端には寄れない。
頂上到着は午前10時15分。ロシア隊と同日だが、今季の初登頂になった。
エベレストを正面に右にローツェからマカルー、バルンツェが聳え、左にはプモリ、ギャチュンカン、チョーオユー・・・と素晴らしい展望だ。
岩山さんに衛星電話で登頂の報告をし、記念撮影をする。マッちゃんは職場の人たちが書いた寄せ書きを広げて記念撮影におさまる。後続のロシア人たちが続々と登って来た。彼らの後に下降すると時間がかかるので、彼らより先に降りることにする。
くの字のナイフリッジをラクパに続いてマッちゃんが懸垂下降で降りる。リッジ通しでいくとFixに引っ張られ、鉛直方向、すなわち、くの字の内側のヒマラヤひだの間に落ち込んでしまう。マッちゃんが「リッジ通しか?ロープに沿ってか?」と叫んでいる。
私は何を間違ったか「ロープ通し!」と答えてしまった。案の定、急なヒマラヤひだの間に下りてしまい、ルートに復帰するにはヒマラヤひだの垂直に近い側壁を登らなくてはならない。ピッケルを取り出し、それ使って登るよう指示をするが、雪が柔らかくなってきていてうまく登れず、もがいている。
私はアン・ダワにマッちゃんを引き上げるよう指示した。アン・ダワは懸垂で、くの字リッジの外側を降りていく。そうだ、ロープに引っ張られないためには外側を降りるべきだった。
アン・ダワがマッちゃんの上部に達した。ちょうどその時、下からスロベニアのクライマーが単独で登ってきた。私達がC3を出発した後、C2の上部に一つのヘッドランプの灯りが見えていたのは彼だったのだろう。
ピンク色のウェア、長い手足、サングラスをかけた精悍な顔は一瞬、故榊原かと見まがうばかりであった。
彼はアン・ダワの所に達し、登ってきた反対側の斜面に人がいるのにおどろき、アン・ダワに協力してマッちゃんをくの字リッジの上に引き上げた。
そこからマッちゃんとアンダワは次のピッチの懸垂下降に移り、スロベニア人は頂上を目指してくの字リッジを登り始めた。
私は、彼が登って来てからその後で降りようと思っていたが、ロシア人達が下降を始め、私の所まで来てせっつき始めた。
「下から人が登って来ている」と言うと、「我々はビック・グループだ。(下降に時間がかかるから)ロープを使うな。」と一人がスロベニア人に向かって怒鳴り、他のメンバーもロシア語で「早くしろ」とか何か愚痴ってやがる。
スロベニア人は「わかった」と答えて、アッセンダーを外し、もう一本アックスを取り出して、華麗なダブルアックスで登り始めた。
私は下降器をセットして懸垂下降を始めるが、くの字リッジの外側を降りると、ロープが登攀中のスロベニア人を弾いてしまうので、くの字の内側を降りることにした。
鉛直方向に引っ張られる力に抗して、ゆっくりと下降。スロベニア人とすれ違う際に「ロープが無くても大丈夫か?」と尋ねたら「ノープロブレム」と答えて、登攀を続けて行った。
少し、距離が空いたのでくの字リッジ上に戻ろうとした瞬間、ロープの力に引っ張られてしまい、私の体は独楽(こま)のように2~3転してヒマラヤひだの間に外側に向いたまま宙ぶらりんになってしまった。
足下には1000m以上垂直に近い雪のスロープが続いている。ロープと支点が持ちこたえてよかった。
骨折していた肋骨が痛んだが、すぐに体を反転し、雪面に足でステップを切って、腰に刺していたアックスを抜いて、シャフトを利用して、くの字リッジの上に這い上がることができた。
上のロシア人の位置からは宙ぶらりんの私の姿は見えなかったようで、くの字リッジの上に上がると「何をしているんだ、早く行け」と言わんばかりの顔をして、下を覗き込んでいるのと目が合った。
そこから、さらに5Pほど懸垂下降を続け、クレバスの縁の平坦地に降り立ち、一息入れた。
アン・ダワが差し出してくれた水筒をちょうど降りてきた後続のロシア人が自分に差し出してくれたと思ったか、グビグビ飲み、次に降りてきた奴に回してやがる。実に厚かましい奴らだ。
「もう少し休もう」と言ったが、マッちゃんは「早くC3に降りたい」と言う。こんな連中の間で休む気がしなかったのだろう。彼らはここで、頂上直下に張ったFixロープが外して降ろされ、C3上部に張りなおされるのを待つつもりなのだろう。シェルパを促し、大きな懸垂氷河の縁をさらに2P懸垂下降すると、ロープが外されたところ。メインロープの端をラクパが体に着けて彼がバックステップで降り、それをアン・ダワが確保して、ロープをいっぱいに伸ばす。そのロープをマッちゃんが懸垂下降で降り、私はカラビナスルーにしてバックステップで降りる。そのあと、アン・ダワがラクパの確保で降りてくる。それを5回ほど繰り返してC3に到着した。
今日中にC2に降りるか、今日はここC3で泊まり、明日、BCに下るか迷ったが、疲れていたし、明日、ここから下山しても充分BCには降りられるだろうから、今日はもう一晩C3で泊まることに決定した。
ただ、アン・ダワは明日、C2の荷降ろしをするため、今日中にC2に下ることにし、C3の不用品をC2に降ろしてもらうことにした。私たちのアックスも持って降りてもらった。
テントの前で休みながら、降りてきたルートを見上げていると、私たちに続いてスロベニア人がロープが無い斜面をダブルアックスで降りてきた。安定した早い下降だ。私たちのテントのところまで来て、手袋を脱いで握手を求めて来た。握手をしてお互いの登頂を祝した。彼も今日はC2に降りるとのことで、C3を後にした。
そのうち、ロシア人グループがロープを張りなおし、続々と下って来た。私たちはテントの前で登頂の余韻に浸っていたが、騒がしくなってきたし、寒くなってきたので、テントの中に入った。
無線でBCに明後日(19日)のBC撤収を伝え、ヤクの手配を頼む。

【10月18日】
荷物をまとめ7時にC3を出発。テントを残していっていいので、実に楽だ。
C3をスタートしてすぐに急なナイフリッジが始まる。C3に登って来たときには確かFixが張られていたのだが、今は外されている。頂上直下に張り足すためにここのロープも外して持ち上げたのだろう。
アックスはラクパが持っているだけで、私とマッちゃんのアックスは昨日、アン・ダワに持って降りてもらった。
しかたがないので、ラクパにアックスを支点にして、メインロープで確保してもらって、一歩一歩、慎重に下り、どこからFixがあるのかを確認に降りる。左右ともすっぱり切れ落ちているので、実に気持ちが悪い。ラクパの支点、確保は大丈夫だろうか?
私が落ち、アックスが抜ければそれにセルフビレーを取っているマッちゃんともども3人とも飛ばされてしまうおそれがある。
少し行って、この部分の下にはFixロープがあることが確認できたが、わずかばかりロープがそこまで届かない。ラクパに5mほど降りてもらう。
私はザックにつけていたスコップを取り出し、それをアックス代わりに雪面に差込、後ろ向きになって慎重に降りていく。ロシア人グループもC3に泊まっていて、まもなく降りてくるはずだ。スコップを差し込みながら降りている姿を見たら、「お前たちはアックスを持っていないのか?何と言う降り方をしているのだ!」と昨日、私がロシア人に向けて言った言葉がそのまま返ってきそうだ。
やっとFixが始まるスノーバーに手が届き、それにメインロープを連結した。そのロープを伝ってマッちゃんが降りてくる。ラクパがアックスを使って降りてきてFixに届いた。ロシア人に見られなくて良かった。
そこからは順調に懸垂下降を続けC2に到着。C2は既に、アン・ダワによって撤収され、跡地には他隊のテントが張られていた。
さらにC1に向けて下降するが、今日は上に向かう人が多い。私たちの登頂を聞いて、ルートができたことを知り、今度は自分たちの番だと登頂を目指すのだろう。登り下りの待避に時間がかかり気味になるが、ほとんどの人が「登頂おめでとう」と言ってくれた。
C1までキッチンボーイのザンブー・シェルパがサンダルで上がってきて、荷降ろしを手伝ってくれる。ラクパ、アン・ダワ、ザンブーは荷物を担いで、駆けるようにBCに帰っていったが、私たちは登頂の余韻に浸りながら、アマダブラムを振り返りつつ、ゆっくりとBCに下った。

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サーダのラクパシェルパ





BCでくつろぐ松岡隊員


安全登山のプジャ


C1からのアマダブラム


C1~C2間は岩のルート


核心のレッドタワーを登る松岡隊員


レッドタワーを抜けるとC2だ
(岩塔の上に我々のテント)


C2~C3は岩壁、雪壁、雪稜が続く


3Pの岩壁を抜けると稜線に出る


ナイフリッジの上がC3


頂上に向かうロジア隊隊員


ラクパが追い越していく


アマダブラム頂上に立つ松岡隊員
(後はエベレストとローツェ)



急なヒマラヤひだの間を下るラクパ


C3上部の斜面をスロベニアのクライマーが降りてきた



C3からC2に下降する松岡隊員


岩塔の上にC2のテントが見えてきた