2024/06/15

パキスタン、カラコルムで平岡竜石氏遭難

パキスタン、カラコルム山脈のスパンティーク峰(7027m)に登っていた平岡竜石さんと田口篤さんが遭難。平岡さんの遺体は6月15日発見、収容されましたが、田口さんは行方不明で、捜索は一旦打ち切られました。
平岡さんの収容風景 
平岡竜石さんは、2003年、チョラツェで逝った榊󠄀原さんと同じ、チーム84のメンバーでした。
1995年Team84ダウラギリ隊メンバー(このうち4名が海外の山で逝った)


1995年、チーム84ダウラギリ隊の隊長が登頂後7500m付近で行方不明になり、別隊で登頂した林が捜索に協力して以来の知り合いでした。
その事故でダウラギリの登頂を逃した、平岡さんは1998年、榊原と二人で、再度、ダウラギリに挑みます。東壁にトライしました。しかし、天候が悪く、北東稜に転進しましたが、こちらも天候が悪く、北東稜からの登頂も断念しました。北東稜のコルに設営されたC1は2mも降雪の下になっていたとか…。ほうほうの体で下山してきた二人は、ジョムソン街道をトレッキングしていた私達と合流して、ポカラまで戻りました。
2001年、9.11事件の直後、私達はネパールのランタンリルンに向かいました。この登山に平岡さんも参加しました。残念ながら、体調不良で登頂はなりませんでした。
2010年秋、平岡さんは三度、ダウラギリに向かいます。しかし、同時期に入山していた日本プロガイド隊(田辺治隊長)4名が雪崩により遭難。平岡さんも登山を中止しました。三度、ダウラギリに挑戦しましたが、ダウラギリの女神から見放された平岡さんでした。

今回、事故のあったスパンティークは、1955年ドイツ隊により初登されています。そのあとも、何隊かに登頂されていますが、1992年に神奈川県連隊が「不揃いのクライマー16名全員登頂」して話題になりました。隊長の広島三朗(みつお)さんは、カラコルムに何度も遠征し、K2にも登頂して、パキスタンに造詣深く「地球の歩き方パキスタン編」も書いておられました。その時の報告書を引っ張り出してきて、見てみると、1994年11月19日の日付で、広島さんにサインを頂いていました。私も、スパンティークに登ろうと、
報告会に出かけたのだと思います。その広島さんは、1997年カラコルムのスキルブルムで亡くなっています。
それまでの登山隊は、ほとんどが比較的登りやすい南東稜からのルートですが、2009年ギリギリボーイズの3人が、北面のゴールデンピラーという円柱状の岩壁を第3登しています。「ゴールデンピラー」、私もフンザから見ましたが、朝日に照らされ、まさに黄金色に美しく輝く岩壁は印象的でした。
平岡さんの、今回の登山は、ノーマルな南東稜ルートのようです。お客さんと一緒に登るのでしたら、高所ポーターを使って、フィックスを張って安全を期するのでしょうが、「全員登頂」できるくらい易しい(?)ルートで、経験のあるパートナーとロープを結び合ってアルパインスタイルで登っていたようで、どちらかが誤ってスリップし、相手も引きずられ、ふたりとも滑落してしまったのではないでしょうか?
スパンティーク峰で、遭難した平岡竜石さんの遺体は615日に収用されましたが、もう一人の田口さんは行方不明のままで、本日、捜索が打ち切られました。

2024/06/12

島根県、隠岐島島前アイランドホッピング

6月12日。
いつも、ネパールでお世話になっているネパール人のM氏、ここ十数年来、ネパールのオフシーズンに、島根県の隠岐島のホテルで働いている。コロナで中断していたが、今年は仕事再開で、来日するので、関西空港でピックアップして、送りがてらに、隠岐島に行ってきました。
山陰のお寿司 ヒトトセ 境港駅前店
フェリーで隠岐に渡るときの定番は隠岐汽船のターミナルにある「山陰のお寿司 ヒトトセ 境港駅前店」。ネタが新鮮で、大きく、安い。今回も行き帰りに立ち寄った。
フェリーしらしま
M氏とは西ノ島の別府港で別れる。私達はレンタカーで移動。
私達は今回は、島後(隠岐島町)は割愛し、島前(西ノ島町、海士町、知夫里村)の観光のみに絞る。
島前の島々は焼火(たくひ)山を中央火口丘として、それを取り囲む山々と知夫里島、中ノ島を外輪山とするひとつの大きなカルデラ火山と考えられており、島前火山と呼ばれています。ただし、島前火山が活動したのは約630~530万年前で、現在ではその大部分は海面下にあります。 
今回は、浦郷の島宿優心に2泊の予定。
島前、島後
海鮮がいっぱい。島宿優心の夕食(一部)
6/13。
5時に宿を出て、5時15分には摩天崖の駐車場へ。
そこから、国賀海岸「通天橋」までの距離2.8㎞、高低差235m下り、所要時間約70分トレッキング。
日の出に間に合った
朝日に輝く国賀海岸
カルデラをバックに草を喰む馬の親子
国賀海岸
その後、赤尾展望所や鬼舞展望所を巡る。
赤尾展望所からカルデラを望む
摩天崖、通天橋を望む
浦郷に戻り、舟引運河の上を通って、別府へ。
外海と内海(カルデラ)を結ぶ舟引運河
別府港8:40発内航船フェリー「どうぜん」に車ごと乗船。
12分で菱浦港(中ノ島)着。
比須賀のカルデラ展望所
木路ヶ崎灯台(地面に描かれた方位盤)
隠岐神社
明屋海岸
船渡来流亭のさざえカレー。味わう時間がなかった。
昼食はフェリー乗り場2階のレストラン 船渡来流亭 (せんとらるてい)。洒落たレストランで、QRコード読み込みメニューの最新(?)システムだが、スタッフの手際の悪さは酷かった。
 スマホでQRコードのメニューを読み込み、オーダーを送信。料理ができあがると、テーブルのブザーが鳴り、カウンターまで取りに行くセルフサービス形式。西ノ島に戻るためのフェリーの時間に余裕を持って入店。2組目だった。そのあと、徐々にお客さんが増えほぼ満席に。最後に、入店した高齢の二人組は注文方法の記載に気が付かないのか、やり方がわからないのか、店員を呼び、店員は伝票で注文を受ける。
 私達は、会話に夢中になっていたが、一番最初に呼び出しブザーが鳴ったのは、最後に入店した高齢の二人組のテーブル。別の一人の男性客が、しびれを切らし、自分の料理はまだか?と聞きに行く。「もうすぐです」というが、男性は自分の注文をキャンセル。フェリーの窓口が開き、チケットが発売される時間が、迫ってきているのだ。私達も次のフェリーを逃すと、午後の予定が狂ってしまう。
 私達の次に、入店した二人組のブザーが鳴る。私達のオーダーは届いているのか?聞きに行くと、届いている。もうすぐですとのこと。フェリーチケットの窓口はすでに開いている時間だ。とにかく、チケットをキープするため窓口に行く。西ノ島と中ノ島を結ぶ小さなフェリーなので、果たして、チケットをゲットできるか?ハラハラしたが車両積込8番目の乗船券をゲットできた(実際、乗船したときには、大型のトラックが先に乗船していたため、ギリギリの乗船だった)。
レストランに戻っても、まだ料理はできていない。ブザーが鳴ったのは車両積込開始時間間際。オーダーしてから30分は経過していた。急いで、料理をかっこみ、支払いに行くと、カード端末が不具合。ここでもタイムロス。現金で支払って、なんとかフェリーに間に合った。
 西ノ島に戻り、国賀めぐり定期観光船に乗船。早朝、トレッキングした国賀海岸を今度は海から眺めるのです。
国賀めぐり定期観光船
国賀海岸
 内海の浦賀港から、舟引運河を通り、外海に出て、国賀海岸を巡る。今
日は外海が穏やかだったので、イタリアの「青の洞窟」のような、船幅ギリギリの洞窟に進入、通り抜け、神操船を見せてくれた。
 約1時間30分の観光船のあとは、焼火(たくひ)山トレッキング。
 焼火山は島前の最高峰。山の中腹には国の重要文化財に指定されている焼火神社(焼火権現)があり、平安時代から海上安全の神として知られている。神社を中心とする約4ha の山林は「焼火神社神域植物群」として 1970 年に県の天然記念物に指定され、隠岐の固有種であるタクヒデンダ、トウテイランや、ヤブツバキ、ハリギリ、ウリハダカエデ、シイ・カシ類、イヌビワ、タブノキ、クロモジ、ヤブニッケイなど希少な植物が数多く生育している。また、昆虫や野鳥も多く、カラスバトの繁殖地となっている。
浦郷からの焼火山
巨大な杉は長い歴史を感じさせる
焼火神社は深山の趣
展望所からカルデラを望む
昨日の「しらしま」がまもなく別府港に入港します。
焼火神社の本来の参道があった大山(おおやま)方面に下山。レンタカーを返却し、路線バスで、浦郷の宿に戻った。
 この日は、オーナーが本土の病院へ行くので、夕食は宿の近くの居酒屋「みやこ」でいただく。
女将さんと消防士の息子さんが接客と厨房を受け持っている。新鮮な海鮮のほか、通常の居酒屋メニューもあり、おいしい料理が趣味の良い食器で提供され、居心地が良かった。

6月14日。
路線バスの始発で、別府港に行き、一番の内航船「いそかぜ」で知夫里島の来居港に渡る。
「いそかぜ」(乗客のみ)
港で待ち受けてもらっていたレンタカーで知夫里島の観光に出かける。
まず、ウグイガ崎。西ノ島と知夫里島の最狭部(小口)の岬。
中国電力が電線工事をしていた。隠岐の電力は島前、島後のそれぞれ2箇所の火力発電所と水力発電所、それに風力発電所で作った電力を、海底ケーブルで各島に送っているそうです。その一環の工事のようでした。
西の島を間近に望むウクイガ崎
それから、しばらく登ると赤ハゲ山の展望所。外海と内海が一望。
知夫里島のレンタカーはミニバン
このあたり一帯は、牛や馬の放牧地で、たくさんの牛や馬が草を喰んでいるし、道を塞いでいる。糞もたくさん落ちていいる。
赤壁
高さ50~200メートルの崖。この崖は約600万年前に噴火した火口が浸食されてできた断面です。赤い色は、噴火で飛び出した溶岩のしぶきの鉄成分が酸化して生じたもので、繰り返し噴き上がったしぶきによって縞模様ができました。
知夫里島の東端にある島津島。歩行者専用橋で渡る。
来居港に戻り、10:55発の隠岐汽船フェリー「しらしま」に乗船。
13:20境港港に到着。再び「ヒトトセ」でお寿司を頂いて帰阪した。





2024/06/09

大阪府、生駒山系(国見山、交野山、くろんど園地)

 雨の予報でしたが、たいして雨にも合わず涼しく歩けました。

国見岳への登り
国見岳頂上
ササユリがきれい
国見山頂上の観音岩