2023/11/21

一徳防山

 

810横谷川・金山谷出合いやや下流の路側空き地に駐車。

830出発。

845横谷の岩場登り口。ゲートロックの次の岩場を右から巻き上り915松の木テラスを過ぎた辺りで小休止。

927岩場の上部を左にトラバースして尾根に乗り1000奥立山(505m)を少し下ったところで約10分小休止。

1031奥立の頭(505m)を経て標高495m付近で約10分小休止。

1137一徳坊山着、少し下り送電線鉄塔の下で約10分小休止。南南東に縦走予定の岩湧山頂ススキ草原が銀色に光って見えるがかなり距離があるため中止決定。

1150西に延びる尾根を下山開始。途中で西と南西に分岐するが目印のテープに導かれ西尾根を下る。480m小ピークでさらに尾根が分岐し南南西の尾根を下る。水流の音が聞こえ始めた380m地点から西に方向転換し扇畑谷に出る。谷沿いに少し下り金山谷林道に合流、1254駐車場所に帰着。

今回辿ったルートは目印のテープは貼ってあるが利用者が少ないせいか低木が成長し踏み跡が分かりにくく、また急傾斜の箇所も多い。かなりの読図力と歩行技術が必要だと思う。

ちなみに下りの尾根は30数年前(もしかしたら40年前かも)単独で登った時に下った尾根ではないかと思う。当時は背の低い松が生えているだけで足が滑らないように注意していれば地形図を見るまでもなく谷まで下ることができた。松が数mまで成長しているのだから自分も歳を取るわけだ。時の流れには抗えませんな。

 

本日の生き物メモ

鳥類:ヒガラ(声、目視)、ウグイス、オオアカゲラ、カケス、ヒヨドリ(以上声のみ)、ヤマドリ(羽音、人の気配に驚いて逃げた?)他にも何種類か聞こえたが同定に至らず。

植物:急斜面の登り下りで木の幹や枝をつかみながら歩いているとこれが実に多様。樹皮ウォッチングも面白そうだなと思った。

2023/11/12

岡山県/鳥取県、津黒山、高清水高原トレック

スタート地点の人形峠
気持ちのいいトレイルが続きます
蒜山が間近に見えます
展望台への最後の登り
ニュースによると、大山登山口の大山寺では40㎝もの積雪があったとか。
土曜、日曜は大山、蒜山近、鳥取、岡山県境近くの山道を走り回っていたので、一日ずれていたら危なかったかも…
津黒山、高清水高原とも1000mほどの稜線付近は、大きなブナ林がありますが、すでに紅葉(黄葉)は散っていましたが、山麓500m付近は紅葉(黄葉)真っ盛りできれいでした。
最後の山頂、伯州山
高清水高原トレイル、伯州山の下山口(赤和瀬)はひなびた農村風景で、茅葺屋根の「いっぷく亭」でいただいた、ひらめ(あまごのこと)の塩焼きや山菜の天ぷらや山菜の炊き込みご飯は心地よいトレッキングの後のおいしいごちそうで皆さんに好評でした。

2023/11/08

2023スペインの山旅(1)

昨年に続いて、スペインに行ってきました。スペインの山といえばフランスとの国境をなす、ピレネー山脈が有名ですが、私達が行ったのはスペイン北部のカンタブリア山脈。

カンタブリア山脈
その中のスペインの最初の国立公園で、カンタブリア州、アストゥリアス州それにカスティーリャ・イ・レオン州の3つの州にまたがる、エル ピコス デ エウロパ国立公園(英語では、Peaks of Europe「ヨーロッパの頂き」という意味です)に行ってきました。
3000mに満たない山の連なりのカンタブリア山脈は、4000mを超える山が連なるアルプス山脈を前にして、不遜なネーミングですが、バイキング、ローマ帝国、イスラム、十字軍、レコンキスタ(国土回復運動)、大航海時代など、長い歴史の中、北海海上を行き来する人々が、ビスケー湾の奥に見える山々を「ヨーロッパの頂き」と思ったのでしょう。
ちょうど、富山湾から見る立山連峰でしょうか?
ここは、石灰岩の山ですから、夏も白く、雪を纏っているように見えたのかもしれません。
エル・ピコス・デ・エウロパの象徴、ナランハ・デ・ブルネス

アブダビ拠点のエティハド航空で行きました。2023年10月から関空に就航。
10/30、関空を発ち、乗り継ぎ地のアブダビで、マドリード行きに乗り込みましたが、飛び立つ気配がなく、3時間後、機材故障のため、乗換えてくださいとのアナウンス。
別の機材で飛び立ったのは、定刻より5時間遅れ。
10/31、マドリード着も本来なら朝、8時頃につくはずが午後1時30分着で、しかも、入国審査が長蛇の列。
荷物を引き出し、レンタカーの手続きをして、出発は15時。これから、500km以上走って、さらに12㎞トレッキングして、予約してある宿に入るのはとうてい無理。今日は、空港近くに宿を取り、翌日、再出発することにした。


エル ピコス デ エウロパ国立公園の登山基地ポテスでは5日間の滞在予定でしたが、飛行機の遅れで4日間になってしまいました。
11/1、丸一日遅れで出発するも、現地ガイドから、明日(11/2)から、契約している3日間は、強力な低気圧の襲来で、最大風速111km/時(約30m/秒)の強風警報が出ているとの連絡あり。
明日からの3日間は標高、2000mほどの標高の高い所でので、クライミングやヴィアフェラータやハイキングなどのアクティビティの予定でしたが、それらはとうてい無理。
現地ガイドは、代替で標高の低い谷筋での短いトラッドクライミング(ゲレンデクライミング)やインドアクライミング、それにレスキュー技術の講習会などを提案してくれるが、どれも面白くないので泣く泣く予定はキャンセル。5日間が4日間となり、さらにそのうち3日がダメになってしまいました。
また、「標高の高い所を通過するルートは危険なので、海岸側を通るルートで来い」と忠告があり、遠回りの海岸側ルート、100㎞ほど遠回りで向かう。その結果、この日午後から予定していた、スペインで一番人気のカレン渓谷のトレッキングのスタート地点到着が遅くなってしまった。
カレン渓谷は高差1000mにも及ぶ巨大な垂直の岩壁に挟まれた渓谷で、谷底から100m位の所に電源開発のために穿たれた12kmの道を行く、まさに黒部渓谷の「下の廊下」。
スタート地点に着くと、風が強く、雨も降り出す。こうなれば、トレッキング中止を即決。ポテスの今夜の宿に直行する。
1時間ほど走って、ポテスに到着。昨年もここを拠点に1週間ほどエル ピコス デ エウロパ国立公園の山に登っていたので、勝手知ったるポテスの街。
でも、なんか雰囲気が違う。店やスーパーはクローズしているし、いつもの広い駐車場は、半分が家畜の囲い柵や藁が敷かれていて家畜市が開かれているようだ。
後で、調べてみるとこの日は「聖者の日」というキリスト教のお祭りで、亡くなった親しい人を弔う日。日本のお盆のような日だ。
幸い、宿で紹介してもらった宿近くの山中のレストランは開いていて、バル(bar)の小さなテーブルを囲んで、地元の人たちが盛り上がっていた。
皆さん、お酒をのみ、食事をしている人がいない。この店で、飯が食えるのかな?最初、お酒を頼んで、様子を見ていて、恐る恐る食事ができるか聞いてみると、食事メニューを出してくれた。スペインでは夜の7時や8時から夕飯を食べる奴はいない。8時30分からオープンというレストランが多い。私たちは、それぞれ魚料理を頼んだ。この辺りは山の中だが、海から近いので、海鮮がおいしい。この店もレベルが高かった。うまかった。
バルの隣にはパン屋さんを併設していて、朝食用に直径30㎝ほどのでかいパンを買って帰った。
ちなみに、パンはスペイン語由来で現地でもパンだからね。
11/2。予報通り、気温が低く、風が強く、雨がパラパラと降ったり、陽が差したりと目まぐるしい。宿から見える山も一夜にして白くなっている。TVではフランスでは強風で木が倒れ死傷者がでたと伝えていた。
朝は、昨夜のレストランに朝食を食べに行く。
毎朝、早朝に散歩する、同行者が5時半ごろ前を通ると、昨日の連中がまだ、盛り上がっていたそうだ。併設のパン屋さんでは、職人さんが、上半身裸で粉をこね、パンを焼いていたと…(ちなみに、スペインでは私たちが到着した10/31未明に、サマータイムから冬時間へと、時計の針を1時間遅らせ、日本との時差は7時間から8時間に変わる。日の出は8時頃、日の入りは18時頃で、生活時間、食事時間は日本よりもずっと遅い)。
レストランに入ると、パン屋の主人が、手招きして、パン焼き場を見ろと案内してくれる。昨夜は狭い販売だけの店だと思ったが、バックヤードはとても広く、薪で焼く、大きな釜が2つあり、たくさんのパンが焼けそうだ。今日のパン焼きは終わっていたが、こうやって焼くんだと長い木製のスコップで実演して見せてくれる。35年やっているそうで、ポテスのホテルなどに卸しているのだろう。店の前には、パン焼きに使う薪が大量に積み上げられていた。
朝食は、焼き立てのパンと大きなスパニシュオムレツとアメリカンコーヒーでおなか一杯。
今日は、登山やハイキングは無理なので、雪で白くなった山並みとは反対の南方向へドライブ。
まずガイドお勧めのレストランにランチを食べに行く。
細いつづら折りの山道を登っていく。現地の車があおってきて、先に行かせようとするが、車を寄せる場所は少ない。標高が上がるとは紅葉(黄葉)が美しく、さらに上部は奇怪な形をした山々が薄く、雪をかぶっている。
目的のレストランは、ポツンと一軒家で、カーブを曲がると急に現れ、目立つ看板があるわけでないが、車が多く泊まっているので、それとわかる。
ここは、昨年、マドリードから山越えでポテスに向かった時に立ち寄ったレストランだ。午後1時過ぎ入店。道路工事など地元の人や峠越えの人たちでにぎわっていた。そのあとも、どんどん人が来て、ほぼ満席になった。
牛肉料理をいただいていたら、2台の大きな家畜運搬トラックが駐車場に停まった。このレストランにフレッシュな牛を卸に来たのかと思ったら、ドライバーの昼食だった。
食事を終え、南に進むとすぐにカスティーリャ・イ・レオン州に入る。さらに少し行くと、峠に展望台がある。
青空が広がっているが風が強く、寒い。周りでは大きな牛が数頭、草を食んでいる。
遠く、エル ピコス デ エウロパの山並みが白く輝いている。後ろにはモヒカン刈りのように長い山頂部だけが黒い岩山がそびえていて、山腹は薄く雪に覆われている。
峠を下っていくと、平地に出る。スペインの大部分を占めるメセタと呼ばれる高原台地だ。レオンとバスクの州都ビルバオを結ぶ線路も通っている。
スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路はいくつかあるが、フランス・トゥルーズからの道はこのあたりを西進し、また、マドリードからの巡礼路もこのあたりで、合流するそうだ。ところどころに、ホタテ貝の巡礼シンボルマークがみられる。
しばらく西進して、北に進路を変え、再び山のほうに入っていく。道が狭くなり、対向車が来ないことを祈る。深い渓谷から峠道となり、登り切ったところでカンタブリア州に戻る。除雪された雪の山が残る峠の駐車場は風が強く、寒い。一組のオートバイのカップルがいた。
カンタブリア州に入ると道が広くなり走りやすくなった。30分ほどで、ポテスの街に入り、昨日は閉店していたスーパーメルカド(スーパーマーケット)で食材を仕入れて、アパートに戻る。走行距離は170㎞ほどだった。
こんばんの夕食は、ドクターが担当。メニューは前菜に生ハムとチーズ(残念ながら、この地方名産の最高級のブルーチーズ、カブラレスチーズは手に入らなかった)、それにチキンのトマト煮込みとパスタ。ワインを抜いて乾杯!


11/3。今日も、山は無理なので、ワインを飲んでゴロゴロしていると、ガイドのパブロが訪ねてくれた。
彼とはメールでやり取りをしていて、私は初対面だと思っていたが、実は、彼は昨年、私たちがオスタコエチェア針峰に登っていた時、後続パーティで登っていて、ビレーポイントで一緒になったと…。こちらは、全然、覚えていなかったけど、よく覚えていたなあ…。日本人のジジイのクライマーは珍しいのだろう。
昨年は、9月初めにエル・ピコス・デ・エウロパの象徴ともいうべき、特徴的な岩峰、ナランハ・デ・ブルネス(ブルネス村のオレンジ色の岩壁の意)に登りに行ったが、登攀を予定していた日が悪天予報のため取り付けず、オスタコエチェア針峰に転進していたのだ。
今回は、私や他の人の都合で、スペイン訪問の時期が遅く、クライミングは無理だろうが、ヴィアフェラータやハイキングは楽しめるだろうと思って、現地ガイドに相談すると、天候にもよるが、登れるかもしれないというので、急遽、クライミングのトレーニングとギアの準備をして出かけてきたのだが、もろに悪天候に捕まってしまった。なんという不運?
「山はこういうこともあるさ。今度はコンディションのいい時に来てください」と、パブロは皆と握手をして、帰っていった。
夕食は、パブロに紹介してもらった、山奥のレストランへ。明かりがない真っ黒な細い山道をぐんぐん上がって、小さな集落に出て、両側の建物に車が摺りそうな細い所を抜けるとそのレストランがあった。入口から入ったところのバルは、地元の人が集い、子供も遊んでるが、奥のレストランは、谷側は全面ガラス張りで、ワイングラスやナイフ、フォークがセットされていておしゃれな雰囲気。壁際には薪ストーブが燃えていて温かい。残念ながら、夜で、山は見えないが、ランチの時は素晴らしい景色だろう。
この地方の伝統料理の山羊のコシード(ひよこ豆やキャベツなどが入ったシチュー)やあさりのココチャ(たらの顎肉の煮込み)などおいしい料理とワインをいただいた。
11月4日の移動
11/4。エル ピコス デ エウロパに滞在する最後の日になってしまった。
天候は回復すると天気予報も伝えているので、カレス渓谷のハイキングに行くことにしました。
初日に予定していたところですが、マドリードからの到着が遅くなり、風も強かったので、中止していたルートです。
スタートポイントに到着すると雨がぱらつき、風がまだ強いのでカレス渓谷はあきらめルートを変更。ブルネス村に行くことにします。
エル ピコス デ エウロパ国立公園の象徴的な奇怪で巨大な岩峰が、ナランホ デ ブルネス(ブルネス村のオレンジ)。その麓がブルネス村。人口は30人ほど。標高約1100mで車道が無く、断崖絶壁の道を歩いて2時間ほどかかるので、スペインでもっとも孤立した村と言われています。その村まで地下ケーブルが開通したのが2001年。標高差400m、距離2300m、勾配18%を7分で運んでくれます。ただし、料金は、片道、17.61ユーロ、往復、22.16ユーロとたいへん高い。
ブルネス村まで地下ケーブルで上がり、村まで200m。ブルネス川に沿った村はしっとりして静かで、黄葉が美しく、チャペルや民家や家畜小屋やカフェやレストラン、ホテルもあるが、まだ時間が早かったので、どこも開いていない。ここは昨年も訪れているので、早々にケーブル上駅まで戻り、そこからは川沿いにハイキング道を下る。最初は川沿いの穏やかな道だったが、だんだん、渓谷が深くなり、流れも速く、山道は場所によっては、川面まで100mほどの絶壁も出てくる。下からは続々とハイカーが上がってくる。ケーブルの料金が高いからかもしれないが、この道は登りのほうがベターだろう。下りだと、深い渓谷が目に入り、雨に濡れて滑りやすくなっている石灰岩の道に慎重にならざるを得ないからだ。
ケーブル上駅の標識には登り口まで1時間と書かれているが、2時間ほどかかって、車に戻った。
天候も回復してきたので、これからカレス渓谷に行くか?と提案するも、みなさん「もういい」とのこと。カレス渓谷はやめて、ソトレス村にランチに行く。
エル ピコス デ エウロパの東部地域の山頂部は広大な石灰岩台地になっていて、そこにある「ソトレス村」を目指す。渓谷沿いの細い道を30分ほどクネクネあがる。ホテルが数件ある村が現れる。ソトレスは、アストゥリアス州では一番高い村で、標高1100mほど。山のレクリエーション地域に指定されているので、数件のホテルがある。ここを訪れたのは2回目。私たちはペーニャ カスティーリャ ホテルのレストランで、カブラレス(この地方の有名なブルーチーズ)コロッケや山羊のステーキやサラダをいただいた。どこもレベルが高い。食事時にワインを飲めるのもうれしいね(日本でクセ付けたらダメ!)。
昼食後、山麓まで戻ると、ナランホ デ ブルネスが姿を見せていた。昨年からずーっと見えなかったので、初めて見る姿だ。
そのあと、反時計回りで、エル ピコス デ エウロパの外周を回る。最初は2車線で、快適だったけど、西側に回り込んだあたりから渓谷も深くなり、道路も1車線となって走りにくい。対向車が来たら嫌だなと思っていたら、ブォーンと大きなクラクションが聞こえたかと思ったら、干し草を積んだ、日本では見かけないような巨大なトレーラーが現れる。もう、ミラー当たってるよね、面倒だなと思ってたら、ドライバーか助手かが出てきて、私たちの車を路肩に誘導し、知らぬ顔して通過していった。後で見てみると、傷はなく、恐るべしスペイントラックドライバーだ。そのあと、日が暮れて、峠をいくつか越えたようだが、周りの状況は分からない。そのうち、一昨日、時計回りで回ってきた道と合流し、ポテスの宿に戻ったのは、20時を回っていた。