中国、雲南省に行ってきました。目標は、横断山脈の梅里雪山です。
ユーラシア大陸にインドがぶつかって、その間にあった海が東西方向に持ち上げられたのがヒマラヤ山脈。
その東の端で、インドのさらなる圧力でヒマラヤ山脈が90度近く押し曲げられ、南北方向に走ったのが、今回、訪れる横断山脈です。
「横断山脈」と名付けられたのは、中原に住む漢族から見れば、東西交通を阻むように横断して立ちはだかるように見えることからだそうです。
横断山脈は多くの高い山脈や深い渓谷が並行しています。最高峰は、多くの犠牲者を出し、松田さんが奇跡の生還をしたミニヤコンカ(7556 m)。
また、この地域はアジアの大河、金沙江(きんさこう=長江源流)・瀾滄江(らんそうこう=メコン川源流)・怒江(ぬこう=サルウィン川源流)が並行して流れ、「三川併流」と呼ばれるところで、独特の動植物層の豊かな自然は世界遺産に登録されています。
今回私たちは、少数民族の住む麗江から、玉龍雪山を訪れ、さらにチベットと四川を結ぶ茶馬街道を北上して、「桃源郷」を意味する香格里拉(シャングリラ)に至り、更に北上して、瀾滄江と怒江に挟まれた梅里雪山を目指します。
4月27日 上海経由で麗江着。
麗江から玉龍雪山に行きました。
玉龍雪山の最高峰は5596mですが、4500mまでロープウェイで上がれます。立山みたいなものですが、室堂(2450m)よりも2000m以上も一挙に上りますので、私も、クラッときて、息苦しかった。
玉龍雪山の最高峰は5596mですが、4500mまでロープウェイで上がれます。立山みたいなものですが、室堂(2450m)よりも2000m以上も一挙に上りますので、私も、クラッときて、息苦しかった。
ロープウェイで4500mまで上がります |
観光客がいっぱい |
玉龍雪山をバックにした野外ステージで「麗江之印象」という大掛かりなパフォーマンスをやっていた |
4月29日
麗江から虎跳渓に寄り道して、徳欽まで来ました。
虎跳渓は金沙江(サルウィン川)の上流部で、川幅が10m位に狭まる大ゴルジュです。凄い勢いで流れていました。虎でも一発で対岸にジャンプは無理でも、真ん中の巨岩に飛び石すればジャンプできるかも…
虎跳渓は金沙江(サルウィン川)の上流部で、川幅が10m位に狭まる大ゴルジュです。凄い勢いで流れていました。虎でも一発で対岸にジャンプは無理でも、真ん中の巨岩に飛び石すればジャンプできるかも…
山間の谷間に広がる徳欽の街 |
朝、徳欽は雨で、期待していた金色に輝く梅里雪山の朝焼けは見られませんでした。
当初の予定では、徳欽~飛来寺~西当まで、タクシーで行き、そこから雨崩(レボン)村の4WDに乗り換えて、上雨崩村にはいる予定でした。しかし、一週間ほど前に、このルートは補修のため、通行できないので、尼農(ニノン)村から上がってきてくれとの連絡が来た。
徳欽から、深い霧の中を瀾滄江(らんそうこう=メコン川)を目掛けて下って行きます。立派な道ですが、途中からショートカットして、車幅しかない、ガードレールもない、急斜面の恐ろしい道を下りました。
谷底まで下って、橋を渡った所がニノン(尼農)村です。広い駐車場にマイカーがいっぱい停まっています。
徳欽から、深い霧の中を瀾滄江(らんそうこう=メコン川)を目掛けて下って行きます。立派な道ですが、途中からショートカットして、車幅しかない、ガードレールもない、急斜面の恐ろしい道を下りました。
谷底まで下って、橋を渡った所がニノン(尼農)村です。広い駐車場にマイカーがいっぱい停まっています。
マイカーがたくさん駐車しています |
瀾滄江の川辺に工場のようなものもあり、秘境のイメージはありません。 |
これがみんな雨崩村に行く人?
秘境のイメージは既に無くなっていましたが…
次々とハイカーが出発します。
私たちも二泊三日の装備を担いで出発。ジグザグの急登から始まります。休み休みで、30分ほどで、高度差100mほど稼ぎ、水平道になって、チェックポスト。入山料を支払います。55元/人のところ、70歳以上は無料。65歳以上は半額。
雲南の観光地はどこも、一緒で、我々、シニア隊には大助かり。
水平道は山側に暗渠の用水路があり、幅は2mほどありますが、谷側はスッパリと切れ落ちていて、水面まで200、300mあり、黒部の下の廊下みたい。
上からもどんどん人が降りてきます。すれ違いで、つまずいて転落しないよう山側歩きます。
秘境のイメージは既に無くなっていましたが…
次々とハイカーが出発します。
私たちも二泊三日の装備を担いで出発。ジグザグの急登から始まります。休み休みで、30分ほどで、高度差100mほど稼ぎ、水平道になって、チェックポスト。入山料を支払います。55元/人のところ、70歳以上は無料。65歳以上は半額。
雲南の観光地はどこも、一緒で、我々、シニア隊には大助かり。
水平道は山側に暗渠の用水路があり、幅は2mほどありますが、谷側はスッパリと切れ落ちていて、水面まで200、300mあり、黒部の下の廊下みたい。
上からもどんどん人が降りてきます。すれ違いで、つまずいて転落しないよう山側歩きます。
ほとんどが、10代〜30代位の若い人たち。我々、ジジババに気が付いた人は驚いて、「ニーハオ」と親指を立ててすれ違っていきます。
1時間ほど歩いて、深いゴルジュ帯に入って行き、道も細くなって登りになっていきます。
左岸から右岸に渡るとますます
急坂になって息が切れます。
バイクタクシーがけたたましい警笛を鳴らして狭いところでは1mにも満たない山道を疾走していきます。
1時間ほど歩いて、深いゴルジュ帯に入って行き、道も細くなって登りになっていきます。
左岸から右岸に渡るとますます
急坂になって息が切れます。
バイクタクシーがけたたましい警笛を鳴らして狭いところでは1mにも満たない山道を疾走していきます。
オートバイが疾走していきます |
上りも下りもたくさんの人が追い越し行き違っていきます。
一つ目の茶店を過ぎると道はますます急になり、登る方も下る方も、滑りそうで怖い。
二つ目の茶店を過ぎると、傾斜は緩くなり、道幅も広くなって、所々、ネパールでいうカルカ(放牧地)が出てきて、ヤクやゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が草を喰んでいます。雨崩(ユーボン)村に入ったことを知ります。
山の斜面に大きな建物が見えきて、橋を渡って、ゴンパ(チベット仏教寺院)が出てきて、下村に到着です。
一つ目の茶店を過ぎると道はますます急になり、登る方も下る方も、滑りそうで怖い。
二つ目の茶店を過ぎると、傾斜は緩くなり、道幅も広くなって、所々、ネパールでいうカルカ(放牧地)が出てきて、ヤクやゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が草を喰んでいます。雨崩(ユーボン)村に入ったことを知ります。
山の斜面に大きな建物が見えきて、橋を渡って、ゴンパ(チベット仏教寺院)が出てきて、下村に到着です。
ニノン村から6時間かかって雨崩(ユーボン)下村に着きました。私たちの予約している宿がある上村は山腹に見えているのですが、さらに徒歩で1時間ほどかかります。
近くの茶店で休み、車を呼んでもらいました。村の4WDがすぐにやって来て、お客を詰め込んで上村を目指します。
つづら折りの未舗装の車幅いっぱいの道を飛ばしていくので、体が前後左右に揺さぶられます。それでも、10分ほどで目的の宿に着きました。案内された部屋は、一面ガラス張りで、そこから見る梅里雪山には思わず息をのみました。
5/1
日の出は6時45分頃。広い中国は全土、北京時間を採用しているので、南西端の雲南は実質2時間位の時差がある。
梅里雪山は、この辺りの山の総称で、最高峰は京大隊が遭難したカワクボ(卡瓦格博、6,740m)ですが、雨崩村からは見えず、眼前に見えるのは鋭く尖ったメツモ(神女峰、6,054m)と龍の背中のようなギザギザした
ジャワリンガ(五冠神山、5,470m)です。その稜線までは見えているのですが、今朝は、赤く焼けずに陽は昇りました。
今日は、京大隊がBC(大本営)を置いたカルカ(夏の牧場)を目指します。
梅里雪山は、この辺りの山の総称で、最高峰は京大隊が遭難したカワクボ(卡瓦格博、6,740m)ですが、雨崩村からは見えず、眼前に見えるのは鋭く尖ったメツモ(神女峰、6,054m)と龍の背中のようなギザギザした
ジャワリンガ(五冠神山、5,470m)です。その稜線までは見えているのですが、今朝は、赤く焼けずに陽は昇りました。
今日は、京大隊がBC(大本営)を置いたカルカ(夏の牧場)を目指します。
宿の周辺には、テラスやガラス張りのサンルームを備えた、小洒落た民宿が立ち並び、3階、4階建てのホテルの建築ブームです。
上村のセンター(中心)には、カフェやバーやスーパーやコンビニ(超市)があり、四川、広東など各種中華レストランが立ち並んでいます。中には店の前に置いた水槽に食材になる魚が10匹位泳いでいます。村外れにはグランピングの施設もありました。
このチベット族の聖地の秘境村を訪れるのは若い漢族で、ほとんどの観光客はスマホやGoProで、中にはドローンで撮影、録画しています。それを中国版SNSに配信して、それを見た若者が秘境感とリラクゼーシ ョン?を求め、次々に訪れてくる。若者にとっては、雨崩村はディズニーランドみたいなものなんでしょうね?(行ったことないけど…)
その上、商機を見るに敏な中国漢族商人が若者をターゲットに新しい商売を始めている、そんな感じかなぁ?知らんけど…
高原地帯を過ぎ、山道に入って、ぐんぐん登っていく。昨日もそうだけど、ゴミがあちこちに落ちている。みんな最新ウェアと着ているが、ゴミを持ち帰るという習慣はまだ纏っていないようだ。
コルの所まで来て、そこからの下りは滑り止めがないと、しんどそうなので、あっさり引き返すことに。どうせ、その先までいっても、ガスガスで山は全く見えない。
村まで戻って、カフェでお茶して宿に戻りました。
5/2
上村のセンター(中心)には、カフェやバーやスーパーやコンビニ(超市)があり、四川、広東など各種中華レストランが立ち並んでいます。中には店の前に置いた水槽に食材になる魚が10匹位泳いでいます。村外れにはグランピングの施設もありました。
このチベット族の聖地の秘境村を訪れるのは若い漢族で、ほとんどの観光客はスマホやGoProで、中にはドローンで撮影、録画しています。それを中国版SNSに配信して、それを見た若者が秘境感とリラクゼーシ ョン?を求め、次々に訪れてくる。若者にとっては、雨崩村はディズニーランドみたいなものなんでしょうね?(行ったことないけど…)
その上、商機を見るに敏な中国漢族商人が若者をターゲットに新しい商売を始めている、そんな感じかなぁ?知らんけど…
高原地帯を過ぎ、山道に入って、ぐんぐん登っていく。昨日もそうだけど、ゴミがあちこちに落ちている。みんな最新ウェアと着ているが、ゴミを持ち帰るという習慣はまだ纏っていないようだ。
コルの所まで来て、そこからの下りは滑り止めがないと、しんどそうなので、あっさり引き返すことに。どうせ、その先までいっても、ガスガスで山は全く見えない。
村まで戻って、カフェでお茶して宿に戻りました。
5/2
今朝は雨崩下村は見えているが、稜線は見えなかった。
今日は下山の日。登って来るときに予想以上に時間がかかったので、予定を早めて、8時に出発。
少し下るとカフェがあった。入って、コーヒーと行動食で朝飯を済ませる。久しぶりに本格的なコーヒーだったが、ワンオペのせい?それとも高度(3200m)のせい?ぬるかった。
下村を9時30分にスタート。1時間ほどは、上がってくるハイカーには出会わなかったが、茶店までくると、先頭集団がわんさか登ってきていた。
そこから急坂が続くが、絶え間ない人の列。3日前より多い。中国も連休のようだ。
日本の山でのあいさつ「こんにちは」は中国では「ジャヨ(加油)」。油を加えろ=元気を出せ=がんばれ!うまいこと言うもんだ。
限りないので、応答するのが面倒だ。
中には、私の顔を見て「おお、あそこまで行ってきたのか?」という表情でサムアップするやつ…。
私たちの登りの時は、雨がぱらついていて、滑りやすかったが、今日は乾いていて助かった。
13時頃、水平道までくると一安心。少なくなったとはいえ、まだまだ、人がやってくる。今から登れば遅くなろうに…。
14時、ニノン村駐車場に到着。迎えの車と約束していた時間より1時間早かった。
1時間位、待つのは大したことがないと思ったが、そこにいて、世間話をしていたおじさんが、運転手さんだと気がつくまで30分かかった。
予定より早く、徳欽(ドーチン)のホテルに戻ったが、レセプションがもたついて、30分以上のロスタイム。
幸い、チェックインに来たカップルが、英語で中継してくれて、無事にチェックでき、私たちの梅里雪山最奥の雨崩(ユーボン)村訪問は終わりました。
ヒマラヤ山中の奥深いナムチェバザールやネパールとチベット国境のザンムーが、ずっと前からホテルやゲストハウスやレストランが立ち並び、ディスコ(ふる〜)さえあり、「ここはどこやねん?」と思ったことを思い出せば、雲南の奥地だけ一人、秘境であり続けるのはとうてい無理な話で、秘境の観光地化だと嘆くのは、単にジジイの繰り言かもしれないが、チベット仏教の聖地、聖山に対する崇敬の念や、自然に対する畏敬の念をもっともって望むべき…なんちゃって…
5/3
今日は下山の日。登って来るときに予想以上に時間がかかったので、予定を早めて、8時に出発。
少し下るとカフェがあった。入って、コーヒーと行動食で朝飯を済ませる。久しぶりに本格的なコーヒーだったが、ワンオペのせい?それとも高度(3200m)のせい?ぬるかった。
下村を9時30分にスタート。1時間ほどは、上がってくるハイカーには出会わなかったが、茶店までくると、先頭集団がわんさか登ってきていた。
そこから急坂が続くが、絶え間ない人の列。3日前より多い。中国も連休のようだ。
日本の山でのあいさつ「こんにちは」は中国では「ジャヨ(加油)」。油を加えろ=元気を出せ=がんばれ!うまいこと言うもんだ。
限りないので、応答するのが面倒だ。
中には、私の顔を見て「おお、あそこまで行ってきたのか?」という表情でサムアップするやつ…。
私たちの登りの時は、雨がぱらついていて、滑りやすかったが、今日は乾いていて助かった。
13時頃、水平道までくると一安心。少なくなったとはいえ、まだまだ、人がやってくる。今から登れば遅くなろうに…。
14時、ニノン村駐車場に到着。迎えの車と約束していた時間より1時間早かった。
1時間位、待つのは大したことがないと思ったが、そこにいて、世間話をしていたおじさんが、運転手さんだと気がつくまで30分かかった。
予定より早く、徳欽(ドーチン)のホテルに戻ったが、レセプションがもたついて、30分以上のロスタイム。
幸い、チェックインに来たカップルが、英語で中継してくれて、無事にチェックでき、私たちの梅里雪山最奥の雨崩(ユーボン)村訪問は終わりました。
ヒマラヤ山中の奥深いナムチェバザールやネパールとチベット国境のザンムーが、ずっと前からホテルやゲストハウスやレストランが立ち並び、ディスコ(ふる〜)さえあり、「ここはどこやねん?」と思ったことを思い出せば、雲南の奥地だけ一人、秘境であり続けるのはとうてい無理な話で、秘境の観光地化だと嘆くのは、単にジジイの繰り言かもしれないが、チベット仏教の聖地、聖山に対する崇敬の念や、自然に対する畏敬の念をもっともって望むべき…なんちゃって…
5/3
徳欽からシャングリラ(香格里拉)に移動。白馬雪山の下を抜ける長いトンネルで、瀾滄江(メコン川)から金沙江(サルウィン川ではなく長江の間違い)側に出たことになる。
シャングリラはもともと雲南省、迪慶蔵族自治州(デチェン・チベット族自治州)の中心都市で、元々の地名は「中甸」でした。
シャングリラとはイギリスの作家ジェームス・ヒルトンの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前で、
このモデルになった街だということで、2000年に改名されました。
世界には「シャングリラ」を自称する所がいくつもありましたが、ここが先占して、本家だと宣言したのです。
また、ここは古来から、チベットのラサと雲南の昆明を結ぶ、重要な交易路の中継地で、雲南からはお茶を、チベットからは強い馬が運ばれてきたので、茶馬古道と呼ばれています。
シャングリラには古城があり、城内には古い町並みがのこっていましたが、2014年の大火で焼失し、現在は昔の町並みを再現した観光地となっていて、飲食店や、土産物屋が軒を連ね、チベット族のコスプレをしたバカップルで混雑していました。
5/4
シャングリラはもともと雲南省、迪慶蔵族自治州(デチェン・チベット族自治州)の中心都市で、元々の地名は「中甸」でした。
シャングリラとはイギリスの作家ジェームス・ヒルトンの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前で、
このモデルになった街だということで、2000年に改名されました。
世界には「シャングリラ」を自称する所がいくつもありましたが、ここが先占して、本家だと宣言したのです。
また、ここは古来から、チベットのラサと雲南の昆明を結ぶ、重要な交易路の中継地で、雲南からはお茶を、チベットからは強い馬が運ばれてきたので、茶馬古道と呼ばれています。
シャングリラには古城があり、城内には古い町並みがのこっていましたが、2014年の大火で焼失し、現在は昔の町並みを再現した観光地となっていて、飲食店や、土産物屋が軒を連ね、チベット族のコスプレをしたバカップルで混雑していました。
5/4
シャングリラ大渓谷(グランドキャニオン)に行って来ました。
昨日、徳欽から戻ってきた道を1時間ほどバックした所から、山間に入って行きます。しばらく行くと、巴拉格宗(パラゲゾン)国家公園のゲートです。
ゲートからバスを乗り換えて、斧で断ち割ったような高差数百メートルの大渓谷の谷底をしばらく走り、52のカーブのクネクネ道を登って、巴拉(パラ)村に到着。
バラゲゾンとはチベット語で「神々が住む場所」だそうです。白い雲に覆われた雪を頂いた山々がそびえ立ち、深い谷間には流れの早い渓谷が流れています。
この地は、かつて四川省のバタン地域から移住してきた人々が、何世代にもわたって住んでいました。
しかし、あまりにも隔絶されていたので、政府の政策で、住民は山麓に移住し、今では観光地として整備されています。
パラ村のチベット式食堂で昼食後、バスを乗り換えさらに上部に進みます。
つづら折りを行くと、巨大な岩峰が見えてきます。ドロミテのトレチメやパタゴニアのフィッツ・ロイを凌ぐサイズの岩峰が立ち並び、圧巻です。仏僧が座禅しているような姿から、シャングリラ仏塔として、崇められています。
終点は、標高4200mの雪原で、スノーモービルで、10人位乗ったソリを引っ張るアトラクションを2台でやっていて、仏塔というにはそぐわない光景でした。
下りのバスに乗って展望台やチベット寺院に立ち寄って、国家公園を後にしシャングリラに戻ってきました。
これから、四川省成都に飛び、5/5の朝の便で帰国します。
昨日、徳欽から戻ってきた道を1時間ほどバックした所から、山間に入って行きます。しばらく行くと、巴拉格宗(パラゲゾン)国家公園のゲートです。
ゲートからバスを乗り換えて、斧で断ち割ったような高差数百メートルの大渓谷の谷底をしばらく走り、52のカーブのクネクネ道を登って、巴拉(パラ)村に到着。
バラゲゾンとはチベット語で「神々が住む場所」だそうです。白い雲に覆われた雪を頂いた山々がそびえ立ち、深い谷間には流れの早い渓谷が流れています。
この地は、かつて四川省のバタン地域から移住してきた人々が、何世代にもわたって住んでいました。
しかし、あまりにも隔絶されていたので、政府の政策で、住民は山麓に移住し、今では観光地として整備されています。
パラ村のチベット式食堂で昼食後、バスを乗り換えさらに上部に進みます。
つづら折りを行くと、巨大な岩峰が見えてきます。ドロミテのトレチメやパタゴニアのフィッツ・ロイを凌ぐサイズの岩峰が立ち並び、圧巻です。仏僧が座禅しているような姿から、シャングリラ仏塔として、崇められています。
終点は、標高4200mの雪原で、スノーモービルで、10人位乗ったソリを引っ張るアトラクションを2台でやっていて、仏塔というにはそぐわない光景でした。
下りのバスに乗って展望台やチベット寺院に立ち寄って、国家公園を後にしシャングリラに戻ってきました。
これから、四川省成都に飛び、5/5の朝の便で帰国します。